2017年9月11日月曜日

百箇日法要と涙くんさよなら

夜7時から、叔母の百箇日法要を勤めました。子供たちや孫も参列してくれました。叔母にとっては、ひ孫の世代です。叔母は結婚しませんでしたが、充実した人生を送って、満93歳まで元気に生きました。亡くなる10ヵ月ほど前から、体のあちこちに病気が見つかりましたが、それが死因というわけではなく、老衰のような形で亡くなりました。苦しむこともありませんでした。
百箇日は別名「卒哭忌」とも言います。文字どおり嘆き悲しむことから卒業するという意味です。肉親の死は人にとって最も大きなストレスの一つとなります。いわば体にぽっかりと大きな穴が開いた状態です。その穴を少しづつ埋めて行くことが必要です。今の言葉で言えば「グリーフケア」になります。悲歎からの回復と言われています。
葬儀は臨終勤行から始まりますが、納棺・通夜・出棺・葬場・火屋・収骨・還骨までを言います。そのあと初七日があり二七日から六七日までを経て四十九日法要が勤められます。その後百箇日があり、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌、三十三回忌、五十回忌と続きます。
 不規則ではありますが、だんだんと間隔が長くなって行きます。傷の薄皮がはがれるように少しづつですが、本来の自分の生活リズムを取り戻して行くのです。これの大きな変わり目を百箇日が受け持っています。どうしてこういう法要が形作られたのかは分かりませんが、おそらく人間の感情のリズムに合わせて作られたのでしょう。昔の知恵を侮ってはいけませんね。

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