2017年7月5日水曜日

植え付けられていた葬儀感覚

サラリーマン時代は、仕事中心であまりお寺の手伝いはしなかったのですが、一緒に住んでいたのでお寺の様子は分かっていました。転勤してからはホテルの再建が任務だったのであまり家に帰れませんでした。両親も年を取り掃除が行き届かなったようで、ご門徒さんから直接苦情を言われたこともありました。お寺は清潔清浄にしなければ価値が半減してしまいます。毎日のお寺の掃除は大仕事です。

かなり前の葬儀でした。珍しく自宅での葬儀となりました。葬儀社の方を頼んで、葬家・私・葬儀社の三人で打ち合わせをしました。葬儀社の担当者は式の進行についていつも通り代表焼香、弔電奉読などの説明をしていましたが、葬家の方が次のように言われました。「代表焼香するっておかしいと思います。家に来ていただく方は全部平等です。代表する人なんていないので、代表焼香など止めて下さい。近くに座っている人から順番に焼香するようにして下さい。」「それから弔電は私たちがもらったものですから、私たちが大切に読ませてもらいます。他人に披露するものではありません。」

今まで何も感じずに葬儀社に言われるままに次第を進行していたことが恥ずかしくなりました。私は遺族の気持ちを考えずに葬儀をしていました。この時の出来事は私にとって衝撃でした。

それ以来、お寺でやる場合は、可能な限り代表焼香なし、弔電奉読なしの葬儀をしています。やはり何事も本質を見極めなければならないと思いました。なんのために葬儀をするのか。誰のために葬儀をするのか。他のことも原点に帰って考えたいと思います。
 

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