40年の積み重ねで得て来られた「お寺とは躍動出来る場である」という体験を惜しげもなくすべて見せるという態度は何処から来るのだろうかと思いました。やる気さえあれば、この充実した体験をみんなも味わえるのだよということではないかと感じました。若い人たちへのメッセージでもあると思いますが、すべての僧侶への投げかけであるのでしょう。
龍谷大学の授業であるため、学生一人一人の置かれた状況を知ったうえでそれぞれに合ったアドバイスを送るということを大切にしながらも、人としても僧侶としても根底は変わらない大事なものがあるということを伝え続けて来られたように思います。
自分自身の転機も語られましたが、自分を変えてくれるような圧倒的な死の体験は誰もが経験できるものではありません。最後は自分でつくって行くものだと思いました。私の場合はそういう決定的な場があったわけではなく、臨終勤行での積み重ねが大きかったように思います。すべてがお膳立てされた会館葬でのお勤めでは、意識改革など出来るはずがないのは全く同感です。私が変わらなければならないという気持ちになったことについては明日書きたいと思います。
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