2017年3月31日金曜日

お寺の敷居を低くする

今日で2016年度が終わります。養源寺にとっては比較的平穏な年であったと思いますが、鳥取因幡組の組長を受けましたので、多用ではありました。今日は最高気温が8度ということで肌寒い一日となりました。

さて、お寺の敷居が高いと言われますが、一つには山門という形状があります。開いているところがほとんどですが、山門の敷居を跨いで一歩踏み出すのはやはり勇気が要ります。当山は入り口に松があり、山門を作ることが出来ないので、比較的入りやすいと思います。お寺の境内は誰が入っても家宅侵入罪になることはありませんが、特に用事がないと入りにくいですね。

入りやすい雰囲気を作るためには、どうすればいいのでしょう。頭に浮かぶことで言うと、一つ見せ場を作ることだと思います。観光寺院ではありませんので、有名なものというわけには行きませんが、仏像、銅像、絵画、写真、ポスターなどあそこに行けばいつでも見えると云うものを準備するのがいいかも知れません。

次に地域の方が参加できるイベントをたびたび行うことが、入りにくさを緩和すると思います。イベントは何でもいいと思います。カフェ、茶話会、野菜市、紙芝居、花まつりの屋台、宗祖の誕生会、コンサート、落語会、展示会、アート展など考えられるものはたくさんあります。参加した人はお寺に親近感が生まれると思います。また、カルチャー教室のようなものを定期的に開くのも敷居を低くする方法だと思います。写経会、写仏会、瞑想会、座禅会、ヨガ会など先例はいろいろあります。それから王道ですが、誰でも参加できる定期的な法話会や講などもいいと思います。

あとは、地域の催しに寺の施設を無料で貸し出すことも一案です。防災会、町内総会、敬老会、子供会などです。
ただし葬儀が入った時の対応策を考えておく必要があると思います。特に本堂で葬儀をするお寺の場合は、大切な要件になります。

2017年3月30日木曜日

明治時代の日本仏教

碧海寿広さんの入門近代仏教思想を読んでいます。知らなかったこともあり、いい勉強になります。

日本の仏教が檀家制度を取り入れているのは周知の事実ですが、その成り立ちを順を追って見ると、江戸幕府のキリスト教弾圧から始まっています。弾圧の過程でキリスト教を止めた人たちの身分を保証を寺院に任せたのが、寺請証文(てらうけしょうもん)であり、日本人全員に義務付けられて行きました。

私は、檀家制度が出来てから葬儀や法事を勤めるようになったのだと理解していましたが、この本によると、このころ時を同じくして、日本全国で葬儀や法事を専門的に勤める寺院が、急速なペースで建立された様子です。そしてこの二つの過程が合流したことで、お寺が身分保証の行政機関となるとともに、葬儀や法事の檀那寺として排他的に担うようになったということです。

この寺請け制度のもとで、人々は必ず特定の寺院の僧侶に、葬儀や法事を依頼しなければならなくなりました。中には身分保証の寄付などを匂わせながら、寺院への高額の布施を強要するなどの悪質な例もあったようです。ある面でこの制度は、幕府の権力を後ろ盾にした民衆に対する収奪のシステムだということも出来ます。

しかし、一方では身近な死者の葬儀や供養を信頼できる寺院・僧侶に行なってもらうことで死者がきちんと成仏してくれることを期待する願いがあったことも事実です。この時代のお寺は、一定の公共性を備えていると主に、教育・娯楽・精神的ケアなどを提供する総合的な文化センターのような役割を果たしていました。この当時はお寺の敷居は低かったものと考えられます。 

2017年3月29日水曜日

聞法のための道場

一昨年実施された宗勢基本調査では、中国地方の中でも山陰地区の本願寺派寺院がおかれている状況が浮き彫りになりました。山陰教区内では、解散・合併を考えているという寺院がほぼ三分の一に達しています。寺院周辺の人口が減ったと答えた寺院は9割を超えています。過去20年間で門徒数が減少した寺院は72%に上ります。また、年収50万円以下の寺院が23.3%を占めているという結果です。

ここまで具体的な数字が上がると、2040年頃には、日本の寺院の三分の一が消滅するという言葉も現実味を帯びてきます。この調査でそこまでひどくないと思われた寺院もいずれ同じ道を辿ることになります。

寺院存続で一番大きな問題となるのは、跡継ぎと伽藍維持です。跡継ぎについては、世襲という枠にとらわれなければ、公募という方法もありますので、絶対無理ということはありません。継ぎたいと思う魅力あるお寺をつくれば、後継希望者はあるでしょう。一番大きな問題は伽藍維持です。当山のような本堂でも内陣の荘厳を含めると2億円と言われています。100年後としても、毎年200万円の積み立てが必要となります。コンスタントに1,000万円以上の収入がなければ、結構苦しい額です。

次善の策としては、浄土真宗の本堂にこだわらず聞法道場としての道を探すことです。聴聞できる場としての広間で考えると5,000万円で可能です。これなら毎年50万円の積み立てが出来れば可能です。生き残る道が見えてきます。明日以降は敷居を低くする方法について述べてみたいと思います。

2017年3月28日火曜日

モノに興味を示さなくなるとき

198742日~200441日生まれの人を「さとり世代」というらしいです。イメージは、伝統文化の価値を重視する、無駄遣いしない、車を欲しがらない等が伝わっていますが、まだあると思います。これだけを見ると熟年老人のようでもあります。私などは、若いときは便利なものや新しいものが欲しくてたまらなった記憶があります。最近になってやっと持ち物を少なくしたいと思うようになりました。車もいずれ手放すようになると思います。

さとり世代の人は、生まれた時からモノが世の中に溢れ返っていました。そうなると、本当に必要なモノしか欲しいと思わなくなると思います。昔は電子機器と言えば、電卓かパソコンくらいのものでした。一台しかないものを大切に使いました。最初は同じ気持ちで、タブレット類を買いました。Ipad、ネクサス、Kindleipodtouchなどを買いましたが、人にあげたり埃をかぶっていたりで使っていません。一つを使いこなせば十分用は足りるのです。モノを大切にするほうだったのですが、これだけ多いと手が回りませんし、それぞれの必要性を感じません。モノがあふれているということは、興味を示さなくなる理由ではないでしょうか。
そして今はすべてのものが多機能となっています。スマホは音声通話やメールだけに使うのもではなく、写真、ビデオ、メモ帳、録音機、手帳、読書、映画鑑賞、電源のリモコン、防犯カメラなど多くのことに使えます。個別の機械を持っていなくても不便ではありません。そのこともモノに興味を示さなくなることの要因だと思います。これから何がどう進化していくのか見守りたいと思います。

2017年3月27日月曜日

みえない力




稀勢の里の千秋楽は劇的だったこともあって、新聞報道やスポーツニュースで大きく取り上げられました。テーピングをとった後のケガの具合を写した写真を見ましたが、脇の下から胸部にかけて、内出血で真っ赤でした。詳しい診断は出ていませんでしたが、筋肉の断裂ではないかと言われていました。全治三か月ということですから、果たして相撲を取ったことが正解なのかどうかわからないところです。優勝決定戦の勝負では、また左肩から土俵下に転落していましたから、さらに悪化する可能性もあったと思います。

二番の相撲の展開によっては、相撲人生を失いかねない場面だっただけに、あそこで強行出場したことに関しては、素直に同意出来ません。今回の優勝に水を差すようなことを云うと思われるかも知れませんが、体のケアはそのくらい大事なものであると思います。結果的には強行出場したことで、多くの方が感激の場面に遇うことが出来たわけですから、拍手を送りたい気持ちはわかります。

しかしこれを見て多くのスポーツ選手が少々のケガに負けずに頑張れば、それは必ず報われると思ってしまったら困るのです。今回のことは奇跡に近いので、絶対に真似をしてもらっては困るのです。
稀勢の里は見えない力を感じたと言っていましたが、見えない力が勝たせたのではなくて、見えない力が次のケガを防いだのだと思います。これを美談にしてはいけないと思います。事故やケガで一生を台無しにする場合もあります。くれぐれもこれを見本にしないようにと言いたいです。



2017年3月26日日曜日

連研修了式と公開講座








 
1年間研修したあなたを称える修了式が行われました。鳥取因幡組の連研も今回で9期目を終えることが出来ました。今日の修了式にあたって出席された受講生28名が、それぞれ連研を受けての感想や感慨、喜び、苦しみを述べられました。まさに珠玉の言葉だったと思います。その中で、多くの方が仲間が出来て良かったということと、自分の中で何かが変わったという感じがあるということを述べられていました。連研を主催したスタッフの一人として本当にうれしく思います。
そしてこの連研修了を記念して開かれた公開講座では、天野和公さんのゼロからお寺を作ったお話しと、何のためにお寺があるのかというお話しを聞きました。お話しを聞きながら、どのお寺も最初はそうだったという原点を感じることが出来ました。これからお寺には困難な時代が始まりますが、立ち上がりはもっと困難であっただろうと思います。困ったときは原点に帰れと言います。なぜお寺が生まれたかということを紐解いて、明日からまたスタートしたいと思います。


2017年3月25日土曜日

寺子屋人形劇場


 
 
 

 
やっぱり人形劇はいいなあと思いました。昨年に続いて、寺子屋人形劇場を開催しました。今年のプロは「とらまる人形劇団」です。岡山県倉敷市にある劇団です。年間180回も公演しているそうです。今日の出し物は、「ゴンゾウ虫」と「ぼっけえばあさん」の2作品でした。手遣い人形もすっかりスタイルが変わりました。頭の後ろを手で操作する人形でした。舞台も回転します。蹴込も平地ですので、人形の足がしっかりついています。後姿もしっかり見せます。ちょっと目から鱗の人形劇でした。来年は3月25日()の午後2時から行います。出演は今年と同じく、とらまる人形劇団、劇団どんぐり、おかぴょん劇団の3団体です。楽しみにしていてください。
 

2017年3月24日金曜日

振り回される国会

森友学園の国有地取得に関して、国会審議の貴重な時間を使った一連の騒動も、籠池理事長の大ウソとして収れんしそうな気配です。まだ真相は分かりませんが、仮にすべてが籠池理事長のつくり話だったとしたら、皆が騙されたということで終わらせて良いのでしょうか。そういう人物であれば、最初から相手にしないという方法はなかったのでしょうか。少なくとも前半は小学校開設がスムーズに行くよう協力的な人がおられたようです。その後不明瞭な点が出て来てから、進捗はストップし、申請取り下げにまでなりました。
国会は与党と野党が入り混じり、自分の所に都合のいいような解釈で、議論しています。当事者ではないので本当のところはわからず、推測に基づく不毛の議論です。
小学校を作るような場合ですが、申請者の信用調査などはしないのでしょうか。過去の不審な点や不可解な点を調べ、もっと慎重に事を進めることは出来なかったのでしょうか。このたびこの件に関連して国会以外にも多くの労力や費用が発生していると思います。大嘘であった場合、これは大きな損害となります。財務局や審議会は騙されたで済む問題ではないと思います。なぜ騙されるようなことになったのかという真相究明が待たれます。

2017年3月23日木曜日

真相はやぶの中?

中外日報の記者から電話があり、取材を受けました。その方は、昨年10月21日、本山の伝灯奉告法要に参列した時に遭遇した鳥取県中部地震のことについて取材された記者でした。何についての取材だろうと思ったのですが、意外にも2月1日に行なった門徒総代研修会についてでありました。

この研修会は、本山のプロジェクトが出した答申「10年、20年後の日本社会で求められる僧侶像・寺院像」について、総代の皆様の理解を深めるため、私見を交えて説明したものです。

中外日報でも、この問題については従来から注目してるので、広く意見を求めているということでした。意外だったのは、なぜこのことに注目されたのだろうと思いました。たかが鳥取因幡組という小さな組で行われた研修会です。どこかで取材する気になった事柄があったのだろうと思いました。そういうことも世の中にはあるのだなあと思いました。

話しは変わりますが、今日の籠池理事長に対する証人喚問は興味深かったです。誰も知らなかった国有地購入ということから始まった問題は、いつの間にかこんなに注目される事態となりました。おそらく誰も想像しなかった展開です。中で何があったかは分かりませんが、まるで芥川龍之介の短編小説を原作に、黒澤明がメガホンを取った「羅生門」を見ているようでした。ただし、今回は一部始終を見ていた目撃者の杣売りは存在しません。
 

2017年3月22日水曜日

組長会

松江の山陰経堂で組長会があり、鳥取因幡組の代表として参加して来ました。任期四年の一年がたったので、皆さん落ち着いてきました。昨年四月に行われた組長会の内容とほぼ同じ項目の報告を受けました。

一番時間を割いたのは、賦課金が教区全体でアップするという問題でした。山陰教区に限らず、寺院のおかれている環境は、門徒戸数の減少と収入の減少です。このような時に賦課金が増えるということは、時代の逆行であり理解しにくいと云うものでした。

主な理由は、山陰教区に働く職員の賃金水準を少しでも中央に近づけるため、職務手当を導入すること、風水害や地震災害の多発化に伴う災害見舞金の増大、繰越金の漸減に対する補てん等でしたが、どれもやむを得ない支出です。

日本の人口減少傾向は、あらゆる産業を縮小化すると思います。今からその手立てを考えておかなければ、タイミングを失ってしまいます。それぞれの寺院は、活動の活発化を進めながら予算規模を縮小して行くという難しい舵取りをしなくてはなりません。「お寺の未来」が提言しているように、死者供養に頼らない寺院運営が問われているのだと思います。寺院の強みである「永続性」を中心にお寺として出来ることを考えて見たいと思います。
 

2017年3月21日火曜日

ビタミンI欠乏症候群


hasunohaの回答僧を1か月やって見えてきたものがあります。多くの方の苦しみ、悩みの根本的な原因として、乳幼児期の親の愛情不足が関わっていると感じました。親の愛情というより、子どもが受け取る愛情の絶対量が少ないのです。どういう傾向の質問が多いかと言いますと、自分に自信がない、相手のことが信頼できない、仲間に入れない、孤独を感じる、感情表現が苦手、恋愛がうまくいかないなどです。

親から「愛されている」と安心して育った人は、自分で自分のことを愛せますが、親からの愛情が足りていなかった場合、いつも不安でいっぱいになり、自分のことを責めてしまい、大人になってからも自分への評価がとても低くなります。自信のない状態です。

赤ちゃんが初めて接する人間は親ですが、親に構ってもらえずに育つと、信頼するという気持ちが芽生えず、大人になってから対人関係がうまく行かなくなります。他人との距離感がつかめず、友人関係や恋人関係を作れなくなります。

レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンのようにどこかで、自分のことを底抜けに信頼してもらえるという体験があれば、良い方向へ進む可能性がありますが、学校や職場では難しいと思います。

こう言う類の質問が多いということは、日本の中で多忙化や貧困化が進み、就労のため親が子どもと対面できる時間を奪われているのではないかと考えてしまいます。改めて愛情不足ということは、深刻な問題なのだと思いました。 


2017年3月20日月曜日

春の彼岸法要


 
春の彼岸法要をお勤めしました。彼岸は日本独自のものですが、歴史は古く聖徳太子の時代から行われていたようです。今日の法話は、仏教と彼岸でした。林寺脩明さんのお話を引用させていただきましたが、14代目となるわたくしの父母を遡ると8,192人になるというお話には驚きました。

「ありがたい」の反意語は「当たり前」という話しをさせていただきましたが、クイズにしたところ見事連研受講中の女性が正解されました。

私たちは自分のいのちは自分のものだと思っていますが、所有という概念は自分が作ったとか、自分がお金を出して買ったとか自分の自由になるという感覚でいます。ところがいのちは自分で作ったものではありませんし、自分で買ったものでもありません。まして、自由にはならないものです。

ということは、自分のいのちは自分のものではないということになります。「我がいのち、我がいのちにあらず」です。

仏説阿弥陀経には、西方浄土の様子がこと細かく描かれていますが、娑婆であっても豪華絢爛なところはいくらでもあります。サウジの王様あたりは、すごいところに住んでいらっしゃることでしょう。極楽が如何に素晴らしいところでも、樹木や鳥や宝石や池は地上にもある当たり前の姿です。そこにしかないというものではありません。

往生浄土とは、死後に何か素晴らしいところに生まれ変わるのではありません。当たり前のことが宝なのです。私たちはそれに気づかないだけなのです。悟りとはそのことに気づくことなのだと思います。
 

2017年3月19日日曜日

ざっくばらんとおく


今日は法事の合間を縫って樹木希林さん、谷川俊太郎さん、徳永進さんの「ざっくばらんとおく」を聞いて来ました。これは、同日開催の「死ぬ時くらい好きにさせてよ」のチケットがあっと言う間に完売したため、何とかしなければならないと、瓢箪から駒で急遽企画されたものです。

時間も50分間と中途半端ですし、どんな話しが飛び出すかわからないという企画です。最初樹木希林さんが車いすで登場したので、よほど具合が悪いのかと心配して見ていましたが、終わった後はスタスタと歩いて幕間に消えましたので、どうも演出だったようです。

徳永先生は、子供の頃の生活ぶりについて展開させようとしておられましたが、このお二人は先生の思惑とは関係なしに自由にしゃべっておられました。希林さんのご主人である内田裕也さんは、みなさんご存知のロック歌手ですが、希林さんのお話を聞いてるとヒモみたいなんです。家には金を入れない、水道光熱費や税金は希林さん負担、彼女はつくる、週刊誌ネタになる事件は起こすで、普通の人だったらとっくに離婚です。そこが不思議なところで、そのハチャメチャぶりが彼女をまともな世界へ引き戻す役割をしていたということでした。普通の旦那だったら、自分が自由奔放しすぎてダメになったいただろうということでした。

蓼食う虫も好き好きという言葉がありますが、ほかの組み合わせは考えられないような話しでした。なぜという言葉は、男女の中には存在しないようです。 

2017年3月18日土曜日

過労死予備軍

電通での自死事件以来、過労死の問題が取り上げられることが多くなりました。長い間サラリーマン勤務を経験し、長時間労働は一筋縄ではいかない問題だと感じています。労働組合との36協定も労働者側、使用者側の両面から見て来ました。勤めていたところは年功序列賃金でしたから、若いときは賃金が安く、年齢を重ねれば賃金が上がるという基本部分が多くを占めていました。手当もそれなりにありましたが、大きいのは役職手当です。ただ一定の役職に就くと超過勤務手当や代休がもらえないというような仕組みがありました。

経営者の一番大きな責任は、会社を存続させるというものです。会社が存続できなければ、賃金どころではなく、雇用も出来ません。存続させるためには、最低限収支トントンでなければなりません。つまり収入の範囲で支出をコントロールするということになります。ただお金は毎日動いていますので、あくまで予測に基づいてということになります。

そして株式会社であれば、株主の方から経営者に対する評価があります。そして当期利益剰余金が多ければ多いほど評価が上がる傾向にあります。ここに罠があります。必要な経費には、当然人件費も含まれますので、人件費が上がることは好ましく思わない経営者が多いのです。

それで、実態を伴わない残業代になったり、サービス残業が存在するのです。まず経営の評価を根本的に見直す必要があると思います。

日本人の多くは勤勉で、奉仕ということを厭わない性質があります。個人の生活より企業の発展を優先するような感覚です。日本人の長所でもありますが、そのために体を壊したのでは元も子もありません。サービス残業をしやすい性質を考慮した管理の仕組みが必要だと思います。

ところで、総務省『就業構造基本調査』によりますと、67業種中過労死予備軍の多い業種のワースト3は、宗教家、医師、法務従事者だそうです。われわれ僧侶も勤務形態を考えなければならない時代になったようです。
 

2017年3月17日金曜日

源平咲き分けの梅



一本の木に白と赤の花が咲くことを源平咲きと言います。モモ、梅、つつじ、ツバキなどで見ることが出来ます。どれも赤・モモ系の花が咲く木に、白い花が咲くようになったものです。梅の場合は、元は紅梅です。アントシアニンという色素が赤になる要因です。野生の梅は白ですから、紅梅が先祖返りすると紅梅が白梅になります。

原因は遺伝子の突然変異と言われています。変異遺伝子を持った細胞が分裂して増えると、その細胞も変異を持ったままになります。変異が最近起こった場合は、枝先だけ白であとは紅の木となります。ずっと昔に変異を起こした場合は、紅白が入り混じった木になります。

よく見ると、花びらの一枚だけがピンクになったものや、白の花びらにピンクの筋が入ったもの、全体のピンクが薄くなったものなど、いろんなパターンがありますので初期に変異が起こった木であると考えられます。こういう異なった遺伝子が交じった状態の生物をキメラと言います。ギリシャ神話に出てくる、頭がライオン、胴がヤギ、尾がヘビという怪物の名にちなんでいます。

キメラの木の種は一つの細胞がもとになっているので、白い花か赤い花のどちらかの遺伝子しか受け継いでいません。育てても、源平咲きにはなりませんが、だから、うまく両方の細胞がまじった枝を挿し木にすれば殖やすことが出来ます。
 

2017年3月16日木曜日

寺子屋人形劇場を開催します



寺子屋コンサートは、すっかり定着し今年で13回目を迎えます。また、どなたでもお参りいただける法座として、元旦会、春秋彼岸会、永代経会、盂蘭盆会、報恩講と年6回お勤めしていますが、子供さんを対象とした集いはありません。若いころ日曜学校を試行したことがありましたが、仕事との両立が難しくあきらめました。

何とか子供たちにお寺になじんでほしいと、昨年から始めたのが寺子屋人形劇場です。人形劇は事前の準備と後始末に時間がかかりますので、違う人形劇を見るには幕間に手遊びやゲームを取り入れて時間稼ぎをしなければなりません。お寺は広い部屋がいくつかありますので、そこで時間をとって仕込みをしてもらい、開演時間に合わせて観る人のほうが移動するという形が可能です。

昨年はそういう形でうまくいきましたので、今年も同じ形式をとることにしました。どなたでも参加可能ですので、都合のつく方はおいで下さい。

2017年3月15日水曜日

政治決着

国会は連日、森友学園がらみのことばかりが議論されています。全容解明の必要があると思う一方で、国会がこんなことに振り回される場面を苦々しく見ています。もっと議論しなければならないことがあるのに、こんなことをさせた責任はどこにあるのでしょうか。

疑惑は大きく分けて4つあります。一つは大阪府私学審議会がなぜ「認可適当」と判断したのかという点です。二つ目は国有地売却金額が1億3,400万円になった算出根拠です。三つめは、なぜ三種類の契約書に関連して、補助金を出す場合に契約書の真偽は確かめないのかという点です。四っ目は、受給要件を満たさなくても補助金が出されているのは何故かという点です。

どこかで政治家の圧力があったのか、政治家が関わっていると一方的に思っている場合でも、影響力があるのかという点も気になります。

日本は法治国家ですから、法律や国会での討論に基づいて決着をつけるべきですが、多数を持っている与党は、それに応えようとしません。応えようとしないということは、応えると不利になるということです。どこが成ったとしても政権与党というのはそういうものなのでしょうか。

ここまでの疑惑はすべて政治決着のような気がしますので、最後も政治決着なのでしょうね。これでまた政治不信になります。 

2017年3月14日火曜日

2017年3月13日月曜日

プロフェッショナルとは

プロとは何かという問いの切り口は、たくさんあると思いますが。今私の見方で云うと支払ったお金以上のものを見せるのがプロだと思います。昨夜のWBC日本対オランダはまさにそうでした。野球の醍醐味を見せてくれました。1点取れば1点返す。4点取れば4点返す。勝負あったと思ったところからの粘り強さ。ヒットだと思った打球をアウトにするプレイ。5センチの幅をコントロールする投球術。すべて素晴らしい内容でした。

スポーツ好きでなくとも、学ぶところはたくさんあったと思います。小久保監督の死闘でしたという言葉が物語っています。当初、経験不足ということで批判されることも多かった監督ですが、この経験で歴代の監督に引けを取ることは無くなったと思います。

振り返って僧侶という仕事を考えたとき、僧侶もプロとして見られているのだろうなと思います。仏道のプロ、さとりの道のプロ、読経のプロ、葬儀のプロと見方は色々でしょう。お布施は僧侶がもらうわけでは無く、僧侶はお寺から給料をもらっています。お布施はお供えしたあと、宗教法人の会計へ入ります。でも、お布施を渡す人は、なんでこんなに包まなくてはならないのだろうと、思っていらっしやるかも知れません。勘違いであっても僧侶としては、お布施を渡した甲斐があったと思われるような法要になるよう勤めなければなりません。果たして何人の僧侶がそう感じているのでしょう。

荘厳、読経、作法、法話、接待のすべてに最高の仕様が求められています。
 

2017年3月12日日曜日

肩書の世界

心療内科医の海原純子さんの東日本大震災被災者に対する人生相談がFacebookで話題になっています。その海原さんが、人の価値観について、このたび書いておられました。一つは肩書についてです。社会に出ると職場でも地域でも肩書がついて回ります。そしてその肩書によって評価したり、されたりすることもあります。中には、喜んだり落ち込んだりと肩書に振り回されている人もあります。肩書でその人の価値が決まるわけではなく、肩書はその人の一面しか表していません。まあ行って見れば会社人間度が高いかどうかというような尺度です。

価値とは何でしょう。希少価値ということばがあります。数が少ないことによる価値のことで、そのもの自体の評価ではありません。叔母に聞くと、戦時中は食糧難でコメを食べることが出来ず、いつも松葉ガニばかり食べていたと言います。驚きの話しです。現在、松葉ガニは高くて手が出ません。食卓に上ることなど一年に一回あるかないかです。当時はいくらでも獲れていたので、価値が低かったのです。価値というのはそのもの自体の価値ではないようです。

肩書という価値も似たようなものです。会社では通用するけど、会社と関係ない外の世界に出るとなんの役にも立ちません。そのことに気付かない人がたくさんおられます。元〇〇という名刺を持っておられる方がありましたが、それが何の役に立つのでしょうか?肩書の世界が自分の本当の世界だと勘違いしてしまうと、退職後の生活が悲惨なものとなります。人格と肩書は無関係だということを知っておきましょう。

2017年3月11日土曜日

今必要なお寺の取り組み

今日は東日本大震災で尊い命を失われた方の七回忌に当たる日です。改めて哀悼の意を表したいと思います。

Hasunohaで皆さんの悩みに答えているうちに、ネットを越えて直接電話して来られた方がありました。20代の学生さんです。その方は、過去のカンニングについて、罪悪感を持たれ苦しんで来られました。いろいろアドバイスをしましたが、なかなか心に入って行く言葉にたどりつくことが出来なかったようです。

電話のあと、時間を気にしなくて済むLINEでつながりました。そこでもやり取りしながら、二日間で一時間は話したでしょうか?それでも納得する答えは見つからなかったようです。

しかし今日、質問してから13日ぶりにLINEがありました。彼女と話していて、いろいろ気づきがあったようです。具体的な気づきも聞きましたが、素晴らしい内容でした。もう、日頃の元気を取り戻された様子です。機会があれば、彼女と一緒に鳥取に来たいと言っておられました。多くの人は、救えないと思いますが、一人でもお役に立てることが出来れば幸甚です。Hasunohaは、現代に必要な取り組みだと思います。
 

2017年3月10日金曜日

サウジ御一行様

サウジアラビアの国王が訪日するということで、話題になっています。81歳ということで階段の上がり降りが不自由なことから、飛行機のタラップをサウジアラビアからチャーター機で運んだというから、桁が違います。随行員が1000人以上、飛行機が20機と言いますから、仰天です。

その他にも挙げ出したら切りがないくらいですが、ハイヤーも高級過ぎて関東だけでは手配できないので、東海地方にまで依頼したということらしいです。高級ホテルも1200室を借り切ったそうです。ため息の出るような話しです。

一方では、一日一食の食事にも事欠いて、餓死する子供もいます。貧困に喘いでいる人達も大勢います。そういうところに支援の手を差し延べることは出来ないのかと思います。おそらく何らかの形で支援はしているのだと思いますが、このようなニュースをあからさまに見ると、考えてしまいます。

もともと石油は化石燃料で地下深くに眠っているもので、地球が作ったものといってもいいでしょう。たまたま線を引いて国を作ったら、その下に原油があったというだけのことです。そして発見した人が発掘の権利を持ち大金持ちになっただけです。その人の努力で、財産家になったというものでもないでしょう。

まだしばらくは人類にとって石油は必要ですが、科学が進歩して再生可能エネルギーで賄えるようになったら、この国はどうなるのでしょうか。すでにその兆候は表れています。日本での電気の販売量が昨年より減ったということです。理由は電気製品の省エネ化だということです。消費電力がだんだん減り、代替エネルギーが出現するようになると石油は必要でなくなります。そういう意味では今回のような訪問は、これが最後になるかも知れませんね。

2017年3月9日木曜日

みんなの寺

3月26日にとりぎん文化会館で午後1時より鳥取因幡組の公開講座を行ないます。講師は仙台市から来ていただく天野和公さんです。天野和公さんは、今から15年前の2002年10月にご主人と二人で、お寺を作られました。宗派には入らず、単立という形です。教えは浄土真宗のものが中心で、それに瞑想など釈迦仏教の要素を取り入れた複合的な活動をしておられます。

お二人は、お寺を始めるにあたって、二つのことを決めておられました。一つは、お布施の額は施主さんのお気持ちにお任せすること。もう一つは、寄付金、年会費をいただかないことでした。

お布施については、言っていただいたほうがいいという方もおられますし、他の方はどのくらいと聞かれて困ることもありますが、天野さんはそれを貫かれたようです。結局、同じ法要でも10倍以上の開きが出来たようです。もちろん金額によって法要の内容や荘厳に差があるわけではありません。この辺りは当山も一緒です。

もう一つの年会費、寄付金をいただかないというのは、結構難問です。年会費は、お寺を続けて行くための最低限の会費です。例えば住職が誰になったとしても、護持して行くために必要なものをいただいているのが護持会費です。住職の給与などは含まれていません。これを無くすことが出来るのは理想です。みんなの寺はそれを成し遂げられました。

寄付金を集めなくても済むように、毎年の会計から特別会計を分離させ、積み立てをするという方法を取っておられます。これも当山が目指すところです。
 

2017年3月8日水曜日

回答僧の毎日

hasunohaで僧侶として回答し始めて今日で20日になります。回答数は44件ですから、1日2件平均の回答となっています。後に残るので言葉を慎重に選び、自分の経験を踏まえて回答しています。質問は多岐にわたっていますが、心の病気にかかっている方が多いのに驚きます。とても僧侶の手に負えるものではないと感じる質問もありますが、皆さん一生懸命応えておられます。頭が下がるの一言です。

私は駆け出しですから、出だしのスピードで何とか書いていますが、5年以上続けておられる方も少なくありません。多い日になると一日5件くらい回答されている方もあるので、連日院家日記を5本書いてるような感じです。その熱意に感動さえ覚えます。

Hasunohaの仕組みはすごいと思いました。回答僧になると未回答一覧が見えるようになっています。それを見て未回答の方を無くすために、自分がアドバイス出来そうなものを探して、せっせと投稿します。そういうことをやっている僧侶が十数名おられます。それで回答率が99.9%になっているのです。ですから同じようなタイミングで複数の方が投稿されるようになり、回答数が多くなることがあります。基本的には1つ回答があり、納得出来る回答であれば複数回答になることは、あまりありません。

同じ方が別の問題で何度も質問されているケースもあります。これについても根気よく回答しておられるので感心します。また、多くの方が仏教の視点を前面に出して答えておられますが、私はどうもサラリーマン時代の経験をもとに、仕事の視点で答えていることも多く、反省しきりです。

この活動は、僧侶としての資質を高めるものだと思いますので、出来る限り続けて行きたいと思います。
 

2017年3月7日火曜日

寺院・僧侶に関する生活者の意識調査

一般社団法人お寺の未来が昨年12月にインターネットを通じて行なった「寺院・僧侶に関する生活者の意識調査」 のアンケート結果を公開しました。一万人のアンケートですから、信頼度があります。地区別集計もあり、山陰地区の集計もありますので、ありがたいです。ただ人口が違いますので仕方ないですが、全体の65%が関東、近畿、東海になっていますので、結果は都市部の意識が濃く表れていると考えることが出来ます。

いろいろなことに対してその解決を寺院・僧侶に求めるという人は少数です。お寺にそういう役割があることを知らない人もあると思いますし、普段の接触がないため相談しにくいということがあるかも知れません。調査所見では、「仏教の智慧に根ざした生き方についての教示」などの潜在的な期待があると言っています。その期待に応えるためには、僧侶自身が普段から研鑽し自分を磨いて置かなければなりません。

いままでお寺を支えてきた家族形態は、世代が一緒に居住しているというものでしたが、これからは単身世帯が多くなりますので、伝統的アプローチだけでは、お寺を維持して行くことは困難になります。若い方がお寺に関心を示すのは、体験系催しものという結果が出ていますので、そういうイベントでお寺に来てもらい、法話で仏教の智慧に根ざした生き方を伝えることが出来れば若い人の足を向けることも可能です。

お布施のアンケートについては、厳しい結果が出ています。これからは、年金生活者が増えて来ますし、サラリーマンの生涯賃金も減少傾向にあると言われます。お布施による収入は減ってくると考えた方が良いようです。



2017年3月6日月曜日

魔性の言葉「みんな」

毎日新聞日曜版の新・心のサプリを楽しみに読んでいます。心療内科医の海原純子さんの書かれているコラムです。このたびは「みんな」という魔力について書かれていました。誰もが親にモノをねだる時に使った「みんなが持っている」という言葉。本当は仲良しの数人しか持っていないのだけど、みんなというと親が許してくれるのです。

会議で最初に誰かが意見を言い、同調する人が何人かいると、自分もその意見だったように錯覚し、みんなと同じになってしまうといういう事を経験しました。あまり良くない傾向だと感じたので、最初に意見を言うようにしました。でも、同じような意見がたくさん出た後で、それらを含んだ別の角度からの意見を言う人を見て、すごいなと思っている自分がいました。

経験を積んでからは、後からでも違った意見を言えるようになりましたし、最終着地点を見据えた意見も言えるようになりました。そこになるまでには時間がかかりますし、進歩のない人もいますので、多数を占めるであろう意見を言う人は、今でも怖い気がします。

職場でも真っ先に帰るということは出来ませんでした。みんなが仕事をしているのに、自分だけ帰ることは出来ませんでした。今考えると、みんながそう思って帰らなかっただけかも知れません。大した仕事もないのに、残っていたことが確かにありました。本当はそんなときに勇気を出して、一番に帰っていたら良かったのでしょう。多様性という意味では、へそ曲がりも必要なのですね。
 

2017年3月5日日曜日

子供たちが参加する法要



 
今日は二件の法要をお勤めしました。二件とも子供たちがお参りしてくれていました。子供たちが参加してくれていると法話にも思わず力が入ります。法要の邪魔になってはいけないと考えられて、大人だけで参列されることがありますが、子供たちが少々騒いでも参加して欲しいと思います。

退屈でぐずってしまう場合は、気分転換に客殿で本を読んだり、輪投げをしたり、積み木をすればいいと思っています。出来るだけ法要の雰囲気を感じてもらいたいと思います。

ひと昔前はどこの地方でも祭りがあり、親戚を呼んでご馳走を食べたものです。たくさんの夜店が出て、ふだんは買えないお菓子を買うのが楽しみでした。そんな祭りも次々と姿を消し、親戚が集まることもほとんどなくなりました。いまや親戚一同が会するのは葬儀や法事の時だけとなりました。葬儀や法事に子供たちが参加しなければ、親戚のおじいさんやおばあさん、おじさん、おばさんを知らないままになる可能性があります。親戚一同を見ることで自分もこの一族の仲間なのだという帰属意識が高まり、不思議と勇気が出て来ます。これだけの親戚が支え合っていると感じると心強いものです。

当山では、子供たちに参拝記念として仏教伝道協会が出版している「ブッダがせんせい」を贈ることにしています。私たちが読んでもためになる本だと思います。在庫が無くなるくらいたくさんの子供たちにお参りして欲しいと願っています。
 

2017年3月4日土曜日

今こそ仏教頑張れ!

私のところは小さいお寺ですが、今日は法事が三件ありました。なぜか午前中が無くて、12時と13時と16時でした。お寺でのお斎が2件ありましたので、客殿だけで対応できず門徒会館も使いました。大きなお寺は、こんなことは日常茶飯事でしょうから、大変だなあと思います。

近年お寺離れが叫ばれていますが、一番の原因は核家族化と少子化です。お寺の責任ではありません。ただし、二番目はお寺に魅力が無くなったことだと思います。これはお寺の責任です。

一般論ですが、その声を拾い出しますと次のようなことが言えます。

1.      お経の意味がわからないので、有難みを感じることができなかった。

2.      法話もないので、法要に出て良かったねという実感がなかった。

3.      焼香のたびに遺族のお礼が必要だと言われたので、悲しむことも出来なかった。

4.      法話があったが、夢物語のような話しで、現実の生活に役立つようなものではなかった。

5.      住職の生活態度からして尊敬の対象になっていないので、話しを聞いても感動出来ない。

これはほぼ住職の責任と言えます。努力して出来ることは最大限すべきだと思います。ここをクリアすれば、寺離れは致命傷になるほど広がらないと思います。

葬儀の小規模化が進んでいますが、大ホールを使う葬儀は存在します。都会ではその多くは新宗教だそうです。新宗教はその人の生活実態をよく知っており、例えば難病のためのセミナーを開いたりします。その人に寄り添った活動を重視しています。そして同じ病気で苦しんでいる人のネットワークを作ります。

そうすると、葬儀が発生した場合には、ネットワークの近くに住む人は、その葬儀に全員が参加すると言います。大ホールはそういう葬儀で使われるのです。今となっては新宗教には違和感があるとは言えません。実態があるからです。伝統仏教も今のままでは、新宗教に凌駕されかねないと思います。今こそ仏教頑張れの時代です。
 

2017年3月3日金曜日

波乱の春がやって来ました

3月に入り一気に鳥取の中も動き始めた気がします。雪のため延期になっていた法要や会議も次々に復活しています。何より冬から春になるということで、皆さんの気持ちが前向きになっています。おそらくこういう気持ちは、雪の降らないところに住む人にはわからないでしょう。

病気から回復した時に健康のありがたさがしみじみ分かるように、雪のない生活がこんなに快適だったことがわかります。雪国の方が春を待つ気持ちが、今回ほど分かったことはありませんでした。

今日は仏教婦人会の役員研修会があり、鳥取因幡組を代表してあいさつをして来ました。挨拶というより、どちらかというと、3月26日に開催する公開講座の宣伝でした。講師の天野和公さんは、檀家ゼロ、本堂なしの状態から、ご主人と二人でお寺をつくった方です。その時はたまたま、うまく行きましたが、他の方にはお勧めしないそうです。その奇跡に近いお話しを聞くことが出来ます。

他県の方に言わせると、焼鳥屋のようだと言われる「とりぎん文化会館」の第一会議室で行ないますので、200名は入れます。何とか満員にしたいと思っていますが、2月の除雪による負担が時間だけでなく、体力も奪っていて準備が進んでいません。今月は、法事もたくさんありますが、人形劇場や連研、彼岸法要、決算準備、寺だより発行、執行部会開催など行事も盛りだくさんです。

世の中も波乱含みで動き始めました。アメリカ、マレーシア、北朝鮮、中国、韓国から目が離せませんし、国内に目を向けますとやはり築地と豊洲と言いたいところですが、波乱の中心はやはり永田町です。こちらも目が離せません。 



2017年3月2日木曜日

防災ヘルメット


最近北海道から九州まで各地で地震があり、なんとなく嫌な気持ちがしています。日本に住んでいる以上、大きな地震に遭遇することも覚悟しておかなければなりません。昨年は町内の自主防災会で地震から身を守る研修をしましたが、その5日後に震度6弱の鳥取県中部地震を体験しました。研修の内容を反芻する間もないくらいのタイミングでした。本当に地震は時と場所を選びません。 

間もなく東日本大震災で尊い命を失われた方の七回忌がやって来ます。テレビでの衝撃的な映像は、忘れることが出来ません。津波とはこれほど恐ろしいものかと思いました。鳥取市服部というところに津波橋という名前の橋があります。海岸からは3キロ以上離れていると思います。昔は何でこんな名前がついているのだろうと思っていましたが、今はわかります。 
 
町内の副会長をして9年目になりました。このたび町内では、全世帯に一個づつヘルメットを配ることにしました。市の補助金を利用しますので、町内の負担は軽くて済みます。地震による被害を見ますと、一番多いのが上からものが落ちてきてケガをしたり、押しつぶされたりすることです。逃げるにしても、頭を守らなければなりません。そのために防災グッズとして、今回はヘルメットを選びました。 

注意したいのは、ヘルメットにも耐用年数があるということです。今回購入したものはFRPで出来ています。船体などにも使われているFRPはガラス繊維などの繊維をプラスチックの中に入れて強度を向上させたものですが、それでも5年くらいで交換することが必要です。見た目は何ともないので、そのまま使えそうですが、いざという時に頭を守ることが出来なければ意味がありません。 

一人に1個必要ですので、それ以上は町内で斡旋したいと考えています。2,000円で命を守ることが出来れば安いものです。

 

2017年3月1日水曜日

お見送り司会者の独り言

お見送り司会者の独り言というブログがあります。クリックしていただければそのブログにたどりつきます。司会者から見たお寺や僧侶について、2月下旬にお寺さんシリーズとして4回連続で書かれています。その2回目に僧侶の貴族意識について的確に触れられています。内容はこんな感じです。

葬儀社に入っておかしいと感じたことの一つに、葬儀社の社員が、お寺さんに必要以上に気をつかっていることだそうです。そしてそういう接し方にお寺さんが慣れてしまって、自分が偉くなったように勘違いしているというものです。

具体的な例としては、車から降りたときに、社員は当たり前にカバン持ちをし、雨が降っていれば傘を差しかけるというのです。ある時その方がいつものようにお寺さんの差し出すカバン二つを持っていたところに、おそらく参列者であろうおばあさんが、重そうな供物を持ってよたよたと歩いていたので、カバンを30代くらいの僧侶に返し、おばあさんの供物を持ってあげたというのです。カバンを持たされたことに対し、僧侶はかなり怒っていたそうですし、上司からもその行動を叱られたそうです。

その方は、僧侶がお酒飲もうがお肉食べようがギャンブルしようが若いお姉ちゃんが好きだろうがそんなの全然気にならないそうです。同じ人間だから、お寺さんも煩悩にまみれて生きて何が悪いと思っていただいているようです。

ただし、お寺さんである為の資質があるとしたら、それは人としての「優しさ」であり、人を思いやる事の出来る温かい心だけは絶対持ってなきゃ僧侶を名乗る資格はないと言われています。

確かに私も葬儀社の会館に出かけて行って通夜や葬儀をするとき、社員の方に出迎えられ、カバンをお持ちしましょうかと尋ねられます。私は自分で持ちますといってお断りしています。参列者用の経本を持っており、さらに雨が降っているときなど手が足りない時はお願いすることもありますが、カバンが持てないほど年をとっているわけではないので、自分で持つことにしています。

気を遣っていただくことは有難いのですが、葬儀社の方が仕事なら、こちらも勤めですのでお互い様だと思っています。

こういうブログがあることで、普段どう見られているかがわかり、有り難いことです。

【残念ですが2月下旬に書かれた4回のブログ記事は削除されています。理由は不明です。】