2016年11月30日水曜日

終活ブームに思う

 
今年も十二月を残すだけとなりました。仕残したこともたくさんありますので、12月だけで全部は出来ません。多くは毎年と同じように翌年に繰越すことになります。それでいいのだと思います。同じように、生きている間に出来なかったことは、死んでから考えることにしましょう。

ところで終活ブームと言われて久しいのですが、終活にはブームはそぐわないと思います。ブームがあろうと終わろうと、死への心の準備期間はあった方が良いと思います。不慮の事故や突然死の場合は、それも叶わないことがあります。

では、いつから心の準備をすればいいのでしょう。仕事の停年を迎える65歳くらいからが良いのではないかと思います。漠然と自分の死を考えて下さい。まず、自分がどうして欲しいかを明らかにすることが必要です。特に無駄な延命治療をどうするかということも。

何人かの人の相談を受けたことがありますが、うまく伝わっていなかった例が少なからずあります。どういう葬儀をして欲しいのか、葬儀には誰を呼んで欲しいのか、費用はどうすればいいのかなど、次の世代に伝わっていませんでした。

自分の気持ちを書面で複数のキーマンに伝えておく必要があります。また、生活している場所に紙を貼っておくという手もあります。とにかく発信することです。私もエンディングノートをそろそろ書き始めようとしています。

今回のブラジルの飛行機事故を見て、人生は何があるかわからないということをひしひしと感じています。

2016年11月29日火曜日

寺院のIT化

 
寺院は一般の企業とは違うという概念を持っておられる方も多いと思いますが、法律上は宗教法人という法人格を持った団体です。いわゆる本山など上部団体に所属している寺院が74,217ヵ寺あり、単立寺院が2,560ヵ寺あります。営利を目的としていない法人ですので、税法上優遇されている部分があります。法人税や固定資産税が非課税であるというのが代表的なものです。

ただし駐車場経営などをやりますとその部分に関して固定資産税と共に法人税もかかるようになります。また、専従者の給与などは一般企業と同じように所得税、社会保険料なども負担しなければなりません。私の経験では会社法人との大きな違いの一つは、社員教育の部分だと思います。

私の所属する宗派では、個人情報保護法、セクハラパワハラ、交通安全、ITなどの研修が行われることはありません。個人単位で勉強しなさいと言うことかも知れませんが、全体的には低レベルで推移しています。いまどきお金のやり取りに、現金書留が重視される企業などはないでしょう。

現金でのやり取りは不正が起こる可能性がありますし、お金が移動した経過をたどることが出来ないという欠点があり、現在は金融機関経由による取引が当たり前になっています。寺院間で未だに現金が幅を利かせている最大の理由はIT化が全く進んでいないという現状があります。

研修もされていない中では音頭を取る人もなく困難だと思いますが、誰かがどこかでやらなければならない課題だと思っています。例えば企業では用紙はA4版に統一されていると思います。ワープロソフトや表計算ソフトの基準も統一されているでしょう。整地されて初めてIT化を進めることが出来ます。

私の属する団塊の世代は、40才代後半から職場にITの波が押し寄せ、紙からメールによる添付ファイルへと変わり、連絡はほとんどメールで行なわれるようになって行きました。簡単な研修は個人単位でパソコンで行なわれるようにもなりました。マニュアルがありますので、それを読んで個人で技術を習得することになります。

パソコンが苦手な人はどうしてもついて行けず、最終的には職場を去って行った人も少数ではありませんでした。IT化が進むと対面的なコミュニケーションが少なくなるというマイナス面もありますが、効率化・標準化・正確性・信頼度・不正排除などに関しては軍配が上がります。

寺院の檀家や墓や忌日の管理、経理や出納事務などこそITの力を利用し、作業を軽減させてご法義の発展に力を注ぐべきだと思いますが、そこにたどりつくまでの課題山積で、住職が集まってもその様な話しにはならない昨今です。

2016年11月28日月曜日

覚醒剤の怖いところ

 
ASKAこと宮崎重明さんが覚醒剤使用の疑いで逮捕されたらしいですが、現在執行猶予中ですので、今回の逮捕で有罪になれば、執行猶予が取り消された上に、今回の件が加算されることになります。執行猶予期間中に刑事事件を起こさなければ、2014年に受けた懲役3年という実刑判決はなかったことになりますのに、なぜ我慢できなかったのでしょう。

覚醒剤は、中枢神経を興奮させることにより気分爽快、自信増加、積極性増加、精力増進、疲労感減少、多弁、不眠などを引き起こします。また、交感神経を刺激させることにより 瞳孔散大、立毛感、心悸亢進、末梢血管の収縮、四肢の冷感、血圧上昇、狡猾、腱反射の亢進なども引き起こします。

戦時中は日本でも戦意高揚や徹夜の作業などのため服用されていましたし、戦後はヒロポンという名で疲労回復の薬として販売されていました。実際は疲労を回復させるのではなく、疲労感を感じさせなくするというもので、体はボロボロになって行きます。

覚醒剤の効果が切れると体がまともになるため一気に疲労がよみがえり、苦しくて我慢出来なくなります。これを解消するには再び覚醒剤を体内に入れるしかなくなるのです。これが薬の持つ依存性です。

依存症になりますと自分の意志でコントロールすることは不可能ですので、病院で治療しなければなりません。治療により正常な体になったとしても、脳は快感を覚えていますのでちょっとしたきっかけで手を出してしまう可能性があります。これは一生続きますので、ダルクのような監視してもらえる組織で更生を図ることが大切になります。

2016年11月27日日曜日

悪人正機 第9期連研⑧

 

鳥取因幡組の連研も佳境に入り、浄土真宗の教えのかなめを勉強しています。今日のテーマは悪人正機です。正機というのはめあてのことですから、悪人が対象の教えということになります。なんやら物騒ですが、悪人というのは法律上や道徳上の悪人ではありません。

仏教では生きとし生けるものの命は平等であると説いています。そうであるならば、他のものの命を奪うということは許されないことですが、私が生き続けて行くためには、牛や豚、魚などの肉を食べたり米や野菜などを摂取しなければ生きて行けません。これらも全て命があります。つまり私たちは自分が生き続けるためには、他のものの命を奪わなければならないということになります。

これは一つの例ですが、気づかないままに仏教で悪といわれていることを行なっているのです。自分の命と他の命のどちらか一つを選べといわれたら、自分の命を優先するということです。自己中心的な生き物であるということです。本能のようなものです。これを根源的な悪と捉えます。

しかし世の中には自分の命より優先して他の命を救いたいという場合があります。代表的なのは我が子に対する母親の愛です。しかしこれさえ我が子という範疇に限定されるのです。愛というのは独占的な一面があります。仏教の慈悲は無条件です。

阿弥陀仏は、自己中心的な生き方をしているものも等しく救うという誓いのもとに仏に成られていますので、そこに分け隔てはありません。むしろ「わかっちゃいるけど止められない」という凡夫こそ救うよとおっしやっています。もう自分ではどうしょうもないと悪あがきを止めた瞬間に救いが実感出来るのでしょう。

どこまでも投げ出さず自分で何とかしようと思い続けている限り、救いの手が差し伸べられていることに気付かないのです。これが悪人が目当てだと言われている故だと思います。

2016年11月26日土曜日

初七日のお勤め

 
親類寺院の初七日のお勤めに坊守と共に参列して来ました。普段は本堂内陣でのお勤めや、宅参りの場合は導師として勤めることになるので、反対の立場でお勤めすることはほとんどありません。参列者の目線で見ると、導師の一挙手一投足がよく見えます。見る対象が一人なので当たり前のことですが、振る舞いに注意が必要だと思いました。

本堂は音の反射と吸収がバランスよく出来ていて、お経の声がきれいに聞こえます。間口六間の本堂で広すぎず狭すぎずで使いやすい大きさです。諸事情により昨日が葬儀でしたので続けての初七日になりました。私の町内では、初七日に近所の方がお参りされるのが慣例となっていますが、地域によって随分と違うようです。

今日はご家族以外には私たちだけでしたので、前日の混雑ぶりと比較して寂しさが一層募りました。お内仏でお勤めする分には少人数でも寂しくないのですが、本堂ですと残されたのは自分達だけなんだなと思ってしまいます。

親類ということもあり、遺族の気持ちが手に取るようにわかったでので、型にはまった法要ではなく、オーダーメイドの法要にしなければならないと感じました。今までは本山で制定された規範に則り、それに手を加えることはなかったのですが、これからは工夫して行きたいと思います。

七日参りは逮夜参りとも言い、亡くなられた同じ曜日の前日に七週に亘ってお勤めします。七回目が最後になりますので満中陰と呼び、四十九日法要をお勤めします。私のお寺は全てお勤めしますが、地方によっては二七日から六七日までは僧侶を呼ばずに家族だけで勤めるところもあるようです。

2016年11月24日木曜日

大相撲石浦関の活躍



鳥取県出身の関取と言えば琴桜が有名でしたが、幕の内の郷土力士はそれ以来ではないでしょうか。地元のNHKローカルでは鳥取県関係力士として、照ノ富士、逸ノ城、貴ノ岩、石浦などの取り組みVTRを紹介していますが、石浦以外は鳥取城北高校相撲部の出身ということだけであり郷土は違います。

鳥取城北高校相撲部は全国高校相撲大会では常連校で、大学で言えば日大相撲部のような位置付けです。近年はモンゴルからの入部者も増えています。ここの監督が石浦さんで、石浦関はその息子さんです。

城北高校の近所には、ちゃんこ石浦というお店もあり地元では愛されています。石浦関は幕内最軽量ということもあり、速さと鋭さが武器です。十両時代は勝ったり負けたりという相撲が多く、大勝ちをすることはありませんでした。

欲を言えば最後まで優勝争いに絡んで欲しいのですが、そのことより次場所が重要です。幕内中位まで上がると思いますが、三役クラスとの取り組みが多くなります。軽量なだけにじっくり攻められると分が悪くなりますので、俊敏さを一層磨きながら体重も少し増やし千代の富士のような力士になってもらいたいと思います。

郷土力士を応援するという心は、実は自己顕示欲の現れなのです。自分は何もしていないのですが、良いことで注目されたり褒められたりすると自分も一員であるかのように振舞ってしまうのです。人間はどこまで行っても自己中心的ですね。

2016年11月23日水曜日

同門住職の死

 
同門の住職が往生の素懐を遂げました。私より10歳若いので僧侶の世界では油ののる時期です。親戚筋に当たりますので、養源寺寺族の法要には参列してもらっていましたし、長女の仏前結婚式では司婚者をお願いしたりしていました。

少し前から体調が思わしくないということで、組内の行事には参加されていませんでした。今は鳥取因幡組の中心的活動となっている連研ですが、彼が第2期、第3期の事務局を務め私が第3期の中途から引継ぎを受けました。連研募集のパンフレットは今でもその当時のものを使っています。

また、電話連絡網や総代会や仏婦など教化団体も含めた組織図も長く利用させてもらっていました。私はエクセルを駆使して似たようなものを作りましたが、その当時彼はワープロで作っていました。パソコンのように汎用性がないので、相当な時間をかけて作ったのだろうと思いました。私なら途中で投げ出していたでしょう。

普段から生老病死や往生浄土を説いている立場ですが、なかなかその死を受け入れることが出来ません。ましてや寺族の方にとっては現実とは思いたくない事態だと思います。昨日までの笑顔にもう会えなくなることが起こるのが現実の世界です。

誰もが日常的に死は考えたくないですが、何時かは死ななければならないのであるなら、生きている時間をつまらないことに使っている余裕はありません。自分の主義主張を正しいものとして摩擦を起こしながら、不平不満の人生を送るより、相手も同じ自分中心の人生を送っていることに鑑み、小欲知足の人生を歩みたいものです。

2016年11月22日火曜日

鷭という鳥を知っていますか

 
今朝リラの散歩をしようとして境内を出ようとしたところ、墓の後ろに回って威嚇するような態勢をとるので、覗いてみたところ鳥がうずくまっていました。大きさは鳩くらいですが、色はほぼ真っ黒です。体型はカラスではありません。

最近はカラスに襲われるのを防ぐため、同類と思わせるための黒い鳩も生まれていると聞いたことがあるので、そうかとも思いましたが、どちらにしても衰弱しているようですし鳥インフルのニュースもありましたので、ネットで調べて東部生活環境事務所に連絡を入れました。

どういう状態か話しをしましたところ、野鳩とカラスは保護の対象外ということでしたが、うずくまっているので判別出来ませんと言いましたところ、取り敢えず行って見ますということで1時間ほどで来ていただきました。

一目見て鳩でもカラスでもありませんということで、取り上げてもらい少し羽をばたつかせましたが、無事ケージの中に納まりました。この鳥はバンですねと言われましたが、バンという名前を聞いたことがなかったので?でした。渡り鳥らしいのですが南日本では留鳥にもなるようです。


後でネットで調べると鷭という漢字でした。赤いくちばしと長くたくましい足が特徴です。大辞林には次のように書かれています。『ツル目クイナ科の鳥。全長約30センチメートル。全身黒褐色で額からくちばしの基部にかけて赤く、くちばしの先端は黄色。脇と尾に白い部分がある。世界中の中低緯度地域に分布する。日本全国の水辺で繁殖し、冬は暖地へ渡る。鳴き声が人の笑い声に似る。』

普通にいる鳥なんですね。担当者の話しでは回復すれば放鳥するそうですが、無理な場合は安楽死させることがあるということでした。元気で飛び立つことを願っています。

2016年11月21日月曜日

ガン治療最前線

 
昨夜のNHKスペシャルは『“がん治療革命”が始まった~プレシジョン・メディシンの衝撃~』というものでした。プレシジョン・メディシンという言葉は初めて聞くものでしたが、内容を見て革命という言葉の意味がわかりました。

ガン三大療法の一つである化学療法、つまり抗がん剤による治療は、いままでガン細胞の合成そのものを阻害するのが目的であったのに対し、プレシジョン・メディシンというのはガン細胞に強く発現している因子を抑制する薬を見つけることで腫瘍の増殖を抑えることが目的です。

正常な体では、必要以上に細胞が増え続けないよう、細胞増殖因子の働きは、厳密にコントロールされていますが、ガン細胞は自己の細胞の増殖プログラムを呼び起こすことで自己増殖します。細胞増殖因子が細胞に増殖する指令を送ることで増殖を続けます。

細胞増殖因子の働きを抑えるために使われるのが、分子標的薬という薬です。この薬を見つけるのにプレシジョン・メディシンという方法が取られます。プレシジョン・メディシン(精密医療)は、簡単に言い表すとすればオーダーメイドの治療です。一人ひとりの病気に一番最適な方法を遺伝子レベルで分析し適切な薬を投与しながら治療するものです。

今までは大腸ガン、肺ガンなど臓器別に薬が与えられていたガン治療ですが、遺伝子変異別に最適な薬を選ぶことにより長生きが期待出来ることがわかって来ました。また、どの遺伝子変異がガンに結びついているのかということに関しては、莫大な研究論文を人工知能に学ばせることにより原因となる遺伝子変異を突き止めることが可能になっています。

様々な分野で研究開発が進んでいる現代、ガン撲滅が現実になる日も遠くはなさそうに感じました。

2016年11月20日日曜日

9年ぶりの健康診査

 
平成19年春に職場で健診を受けて以降9年ぶりに昨日健診を受けました。健診と言っても無料で受けることの出来る国保特定健康診査と、肺がん大腸がんの検査だけです。当日は朝の食事も昼の食事もしっかりとって出かけましたが、健診時の注意事項を見ると、午後に健診を受ける場合は、軽めの朝食にして健診までは水以外の飲食物は摂取しないで下さいと書いてありました。

また、前日は飲酒しないで下さいとありましたが飲酒したことも、食事を昼も取ったことを正直に申告しました。血液検査で血糖値と脂質が高く出るくらいであとは支障なしということでした。胃透視とかドックでなかったので検査が出来ないということではありませんでしたが、次回からは気を付けたいと思います。

こういう注意事項を読まないとか、事前の準備をしないとかということを考えて見ますと、何かをするときの緊張感がないのだと思います。大体のことは分かっていて、今さら驚くことはないという悪い意味での慣れだと思います。

もし、こういう年配者が増えるとするなら、若い人にとっては、たまったもんじゃないでしょう。言っても聞かない、教えても忘れるということでは困ったものです。大いに反省して、明日からは緊張感をもって生活することに致しましょう。

2016年11月19日土曜日

安楽死と尊厳死

警察からの行方不明者の情報提供依頼が毎週のようにメールで届きます。すべて認知症老人の捜索願いです。大体が翌日には見つかって解除になりますが、それだけ行方不明の方が多いということでしょう。

橋田寿賀子さんが安楽死について提言をなさっています。橋田さんは熱海市に一人で暮らしておられます。ご主人を27年前に亡くされ、子供さんはおられませんし、親戚付き合いも全くありません。月刊誌「文芸春秋」12月号で、私は安楽死で逝きたいというエッセイを寄稿されています。

89歳の時に終活ということで身の回りの物をほとんど処分して、犬と二人の生活を送っておられましたが、愛犬も今年6月に亡くなり本当に一人ぽっちになりました。橋田さんにとって将来一番怖いのは認知症になって、何もわからないままベッドに縛り付けられている姿を想像することです。誰にも迷惑をかけず安らかに逝く方法が安楽死であったわけです。そして合法的に安楽死出来る国がスイスでした。

厳密に言うとスイスで認められているのは、医師による「自殺ほう助」です。治療の見込みがないと裁判所が認めた場合に限り致死量の麻酔薬が処方され、医師が見守る中、患者が自らの意思で点滴パックの栓を開くというものです。人気があり現在は申し込みから実行日まで3ヶ月待ちだということです。

日本では安楽死は認められていません。過去の例では医師が殺人罪で有罪になっています。一方尊厳死というのは「人間の尊厳を保って自然に死にたい」という患者の希望をかなえることを目的として、人工的な延命措置を行うのをやめ、その結果として自然な死を迎えるというものです。

日本での尊厳死は、次の要件を全て満たすことが条件となっています。
①患者が治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること②治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在し、それは治療行為の中止を行う時点で存在すること③治療行為の中止の対象となる措置は、薬物投与、化学療法、人工透析、人工呼吸器、輸血、栄養・水分補給など、疾病を治療するための治療措置及び対症療法である治療措置、さらには生命維持のための治療措置など

難しい問題を多く含んでいますが、これからの日本にとっても大切な課題です。いずれにしてもリビングウイルという生前の意思表示をしておくことが最低限の条件となりそうです。

2016年11月18日金曜日

無線LANアダプター親機を増設しました


我が家には日常使いとしてノートパソコン2台、デスクトップパソコン2台のほかに、ipad、ipod、ネクサス7、Kindle fire、iphoneなどwifiを必要とする機器が溢れています。そのため現在は無線LANアダプターが2階の書斎に1台、1階の寺務室に1台あり広くカバーしていますが、本堂の奥に行くと電波が弱くなり画像や音が乱れます。

そこで本堂にも無線LANアダプターを1台増設することにしました。本堂でwifiを使うことはあまりないのですが、法事に参加出来なくてFaceTimeというアプリを使って千葉県からネットで参加された方が過去にありますし、本堂での葬儀の様子をUstreamを使って門徒会館のスクリーンに映し出す場合は必要となります。

今の時代は個人が簡単な機器を使ってネット中継することも出来るようになりました。ノートパソコンであれば今はほとんどの機種にWebカメラが付いていますのでそのまま中継出来ます。Ustreamは無料で使用できますし、スマホ用のアプリも無料でありますのでホントにお手軽です。

電波がしっかりしていれば、画質もまずまずで大スクリーンに映しても満足できるレベルです。今回買った無線LANアダプターはキャンセルのあったリユース品ですので、半額で買えました。5GHz帯も使えますので混信する心配はありません。

どんどん便利になって行く現代ですが、これだけ無線が広がるとどこかで問題が起こって来るのではないかと心配します。目に見えない電波ですが、もし見えたら家中ラインだらけで、恐ろしい光景かも知れません。

2016年11月17日木曜日

お寺を何故残すのか

 
27年くらい昔のことになりますが、NHKで寺が消えるというドキュメンタリーが放送されました。島根県の浄土真宗のお寺のことでした。檀家が減り住職も高齢となり誰も寺を継ぐものがいないという状態で消えていきました。今は過疎化がさらに進み、20%のお寺が住職不在です。

これからもお寺は少なくなって行くでしょう。日常的にはお寺がなくても困りません。葬儀は葬儀社がやってくれますし、僧侶はアマゾンで見つけることが可能になりました。法事を手掛ける葬儀社もありますので、寺の本堂がなくても困ることはありません。

葬儀と法事だけならお寺がなくても構いません。ではなぜお寺を残す必要があるのでしょうか。それは人間を根本的な苦から救えるのは、仏教しかないからです。何のために生まれて来たのかを納得させる答えを導き出せるのは宗教しかないからです。

どんなにお金があっても、どんなに社会的経験を積んでも死を免れることは出来ませんし、死んだらどうなるのかを知ることは出来ません。前を向くだけでは生きられないと感じたときに、仏教が必要になります。その時のためにお寺を残して置かなければならないのです。

若い人がお寺に参らないと言われますが、前だけを向いて生きていけるときは無理に参らなくてもいいと思います。壁にぶつかったり、人が信じられなくなったり、生きていくのがつらくなった時に門を叩けばいいと思います。

そのためにはお寺の側も、訪ねて行きやすい環境にしておく必要があります。せめて在寺しているときは戸を開いていて欲しいですね。

2016年11月16日水曜日

老化スイッチはどこだ!


今日の「ガッテン!」を見られた方はすでにご存じのことですが、少し衝撃的でした。NASA直伝!魅惑のアンチエイジング術ということですが、NASAが老化を遅らせる老化スイッチを体のある部分に発見したということです。

そのスイッチを刺激することによって、ハードな運動をしなくとも死亡を減らし筋肉を増やし、様々な病気のリスクを減らせるというのです。宇宙飛行士が帰還したとき、いつも数人の人に支えられているのが不思議でした。無重力だから体に負荷がかからず、筋肉が細くなるのだと思っていましたが、宇宙船の中でも運動していますから負荷はかかっているはずです。

宇宙にいると筋力低下、骨密度低下、認知機能の低下、脂質や糖の代謝異常、循環機能の低下など老化と思われる現象が急速に進みます。その理由が無重力にあるらしいということは分かっていたのですが、このたびそれが耳石にあることがわかりました。

耳石とは平衡石,聴石とも言います。無脊椎動物の平衡器官である平衡胞内にある小さい粒です。耳石は体の傾きに応じて重力の方向に移動し、感覚細胞の感覚毛を圧迫し、その圧迫の変化によって体の傾きを感じるようになっているものです。

無重力では耳石は浮かんだような状態になり、ほとんど動きませんが、耳石は全身の筋肉や自律神経とつながっており、耳石が活発に動くことにより、筋肉の活動や心臓の動きも良くなり、血流や糖の代謝も良くなることがわかりました。

一方耳石が動かないと全身の筋肉や自律神経の働きが衰え、筋力の低下や代謝の異常など悪影響が起こると考えられます。NASAの研究によって分かったことは、30分に一回立ち上がることによって耳石が活発に動き、老化防止に効果があるということでした。さあ今すぐ立ち上がって見ましょう。

2016年11月15日火曜日

お客様は神様ではない

電通の過重労働はニュースになりましたが、今の世の中はいろんな意味でサービスを過剰に求める時代になっていると思います。便利で楽になることはありがたいのですが、そのことが回りまわって人を苦しめることにつながっていると思うのです。

日本がサービスの品質で世界から見本とされ、生産力の落ちた今でも一目置かれているのはご存知の通りです。私も便利でネット通販を利用しています。注文時点で配達時間を指定するのは当たり前になっていますが、配る方は道順よく配達することが出来なくなり、労働時間が増えます。

お寺で重たい飲料水を頼むことも多いのですが、玄関まで運んでいただけるので重宝しています。留守をすることはほとんどないので、不在通知が入ることは滅多にありません。時間指定をしていながら不在ということもあるようで、エレベータのない市営住宅などへ飲料水を運んで来たら留守だったという時はガックリ来るでしょう。

時間指定してもどうしても帰れない時もあるでしょうが、再配達が全体の2割を占めるというのも問題が大ありです。他の国では不在の場合は自分で取りに行くというのが大勢です。近所に預けるのが当たり前という国もあります。

ネット通販がどんどん伸びている現状ですが、佐川急便は大手通販会社との契約を解除しました。そのためヤマトと日郵は宅配取扱量が大幅な前年超えとなっています。頼む人は仕事が忙し過ぎて荷物を受け取る時間がどんどん遅くなり、不在も増えています。このままで進むと宅配も深夜便までなり兼ねません。

過剰サービスの要求と売り上げを伸ばすための過重労働によって、いずれこの国は滅びてしまうのではないかと思ってしまいます。日曜日はみんなが休み、盆正月もみんなが休みという国に憧れます。

2016年11月14日月曜日

人工知能と僧侶

今日は暖房のいらない暖かい日でしたが、夕方から雨となり気温が下がって来ました。
インターネット彼岸寺というサイトに人工知能と仏教というタイトルで、投稿されている方がありました。以前、松本紹圭さんが書かれていましたがそれに触発されてのことでしょうか?


人口知能に任せられる領域が増えて、いずれは多くの仕事が人工知能に取って代わられるということは言われており、具体的に職種が上げられています。このたびの投稿では、それを一歩進めてブッダの言葉を元にした7千もの経典をAIに読み込ませ、人々の苦に対応させて行けば僧侶は必要なくなるかも知れないというものです。

確かに僧侶はブッダの言葉を全部把握しているわけではありませんし、不完全な形で理解していることも多いと思います。その面ではAIの方が勝るかも知れません。ただし人の経験は、言葉では表せないものもたくさんあります。胸が熱くなるとか胸に染みるとか胸にジーンと来たというような言葉は、実際に体験しないとわからないことです。

そしてその体験も100人いれば100通りの体験があります。ですから70億人いれば70億の体験があるわけで、中には本人でさえ忘れた体験もあります。それにすべて対応しようと思えば時間とデータが足りないと思います。

人間の場合はそれをバッサリと切り捨て、適当なところで答えを出すことが出来ます。いい加減なことの出来るコンピュータがあればいいのですが、それはコンピュータとは言えないでしょう。ということで、不完全な人間に不完全な形で対応できるのは、人間しかないと思うのです。

2016年11月13日日曜日

宗祖のご遺徳をしのぶ法要

今日も昨日同様小春日和となりました。午前中、門徒推進員連絡協議会が主催する連研修了者研修会に参加し、組長としての挨拶を行なって参りました。

多くの宗教には教祖や宗祖の誕生日、命日を記念した行事があると思います。お釈迦様には4月8日の誕生を祝う花まつりがあり、2月15日は入滅された日を記念して涅槃会があります。キリストの場合は、イースター(復活祭)とクリスマス(誕生祭)が有名ですが、正確なことは分かっていないようです。

そういうものと同じで浄土真宗本願寺派では、1月16日の親鸞聖人のご命日に報恩講という法要をお勤めします。京都西本願寺では、1月9日から8日間報恩講をお勤めします。全国の他のお寺では「お取り越し」といって前倒しでお勤めしますが、大体11月頃から1月前半までに行われます。


当山は今日11月13日にお勤めしました。法要は正信念仏偈の行譜でお勤めしました。今日の法話は〔夫れ真実の教をあらわさば、則ち「大無量寿経」是れなり〕をご讃題として、真実の教えについて学びました。

流れとしては、まず事実と真実の違いを明らかにし、宗教がなぜ生まれて来たのかを知る中で、真実を希求する心が誰にでもあるとお話ししました。そして大無量寿経に書かれていることの概要をお話しさせていただきました。今までになく真正面から取り組んだことでした。

2016年11月12日土曜日

ネット信徒との出会い

今日は秋晴れの気持ちの良い日でした。三回忌と一周忌のお勤めをさせていただきました。養源寺は私の曽祖父にあたる山名立天が本山で役員をしていましたので、自坊のことはほったらかしだったようです。法務はすべて役層に任せていたと聞いています。その時代に境内地を切り売りしていた様子で、墓地も小さくなってしまいました。

また、子供がいなかったので、曾祖母の妹の子を養子に迎えました。小さなお寺でしたから、お寺を護持するのが大変でした。私が子供の頃は下宿人がいたり、倉庫業をしたりと今でいう収益事業をしてお寺の財政を支えていたようです。

どの組織でもそうですが、フルタイムの専従員を置くためには最低でも200人程度の会員が必要です。お寺の場合でも同じですが、建物の維持管理もしていくためには300軒程度の檀家がなければ維持できません。

ですから私のところもいわゆる兼業寺院でした。兼業寺院の欠点は、檀家の方の要望に応えることが出来ない所です。特に勤め人で兼業ということになると仕事の関係で平日の法事が出来ません。また、葬儀の場合は仕事関係で迷惑をかけることになりがちです。

望ましいのは専業で、なおかつ自分が成長する時間も持てることです。檀家数も一定規模を維持し、総代や護持会組織が機能することです。そういう意味ではパソコンによる事務の効率化やホームページやSNSによる情報発信は大変ありがたく感じます。昨日は、一度も顔を合わせることのないまま、メールやネットだけで門徒になられた方が徳島から訪ねて来られました。

メル友という言葉はありますが、それに近いものでした。ただし一回り以上年上の大先輩です。ネットでも自分に相性の合うお寺かどうかはわかるそうです。他の寺院のホームページも沢山ある中で、ウェブ上で決め手になったことのお話しもいただきました。情報発信はいつの時代でも大切なことのようです。

2016年11月11日金曜日

浄土という世界1


12月の連研で往生浄土というテーマで2時間ほど講義をしなければなりませんので、今勉強していることを少し書いて見たいと思います。浄土真宗に対する批判の一つに、仏教とは言えないのではないかというものがあります。縁起から始まる初期仏教、そして大乗仏教に至るまで貫いている仏教の基本的枠組みから浄土真宗を考えて見なければならないと思います。

仏教は自らが仏となることを目的にしています。(ただし、仏になったらそれで終わりではありません)仏とは悟りを得た者のことです。悟りを得た者が集まって作っている世界を仏国土と言います。浄土は仏国土の一つです。宗教の世界で語られるものですが、体感するものであり言葉で表すことは困難です。

私を取り囲む世界を政治、科学、哲学、宗教という4つの分野で考えた場合、政治は主観化志向で外面化志向です。科学は客観化志向で外面化志向です。哲学は客観化志向で内面化志向です。宗教は主観化志向で内面化志向と考えることが出来ます。

仏教では思い通りにならないことを苦と捉えます。つまり自分の思い(願望)と現実とのギャップが苦になるわけです。周りの環境を変えて願望通りにしようというのが政治であると思います。それぞれが持っている願望の最大公約数が民主主義につながるのではないかと思います。

しかし、死にたくないという願望に関しては、政治では如何ともしがたい。科学は私というものを中心に置くのではなく、私というものを除外して客観的事実だけを積み上げてゆくものですから、死なない人と死ぬ人を分類してそこにどういう違いを見出すかということが必要になります。

ところが100%の人が死ぬということは、死ぬという原因は分かっても、死なないという原因は見いだせないわけです。哲学は、個人から出発したとしてもその精神的経験を客観的に見て一般化しようとしますので、死に至るまでの心理的変化は哲学的に解明できても、死そのものや死後の世界に関しては無力です。そこで宗教の出番となるわけです。

2016年11月10日木曜日

お寺らしさとは


門徒会館を使われた方が、設備がお寺とは思えないですねと言われます。門徒会館は大きな窓が北東方向に4枚と南西方向に4枚あり、昼間は照明なしで十分な明るさがあります。冷暖房完備で、台所と風呂が付いており、音響システムが充実しています。その他天井にはプロジェクターや150インチのスクリーンが収まっています。

トイレは全自動ウォシュレットが二室あり、一人用の机が24台と椅子が48脚あり、普段は押入れに納まっています。畳の上にカーペットを敷いていますし、部屋が防音になっていますので気密性が高く、夏冬ともエアコンだけで快適に暮らせます。

お寺のイメージは、暗い寒い痛いだそうです。天井が高く、広いのに照明が充分でないので暗いと思われています。また、空間が広いので冬は体育館のように底冷えがすると思われています。また、長時間座ることになるので足が痛いと思われています。
どこのお寺もお参りに高齢者が多くなり、座布団から椅子に変わって来ています。バリアフリーも進んで来ていますし、照明もLEDが導入され随分と明るくなっています。残るは冷暖房というところでしょうか。

また、お寺は法事・葬儀のイメージが強いですが、最近はコンサートやカフェ、写経、瞑想、落語会などお寺独自で企画されているところも多くなり、イメージが変わって来ています。

先日の電話はお寺でコンサートなんかして罰が当たることはないですかと聞かれました。もちろんそんなことはありません。どういう場合でも仏様が罰を当てるということはないのです。長年培われたイメージを変えるということは時間がかかりますが、必要のないものが消えるのはあっという間です。

お寺らしさというイメージを変えて行くのと、内容を充実させ人の集うお寺にして行くのとどちらも時間との戦いになりそうです。

2016年11月9日水曜日

アメリカ大統領選挙


日本時間午後4時35分、AP通信はトランプ氏の当選確実を報道しました。NHKの開票速報を見ていた人は、午後2時ごろにはほぼトランプ氏が勝つことがわかっていました。最終盤になって票の開き方がゆっくりとなっていました。

Yahooのネット速報の方が早かったですね。この写真はその時のスマホの画面です。これからアメリカがどうなるかは分かりません。この目で確認をしていくしかないでしょうが、一部巷で言われているように大変わりすることはないと思います。

現代は政治にしろ経済にしろ、色々なものが組み合わされて成り立っています。大まかに見ればトランプ氏に反対する勢力も半分あるわけですから、その方たちを見捨てて政治をすることは出来ません。また、大統領が代わったからと言って、貧困層が豊かになることはありません。

資本主義である以上経済格差は付き纏うからです。どちらが大統領になっても現状は変わりません。これから少しづつ変えていくしかありませんが、その力を持っているのは世論であり、議会だと思います。これからのトランプ氏には茨の道が待っていると思います。

外交にしても今までの取り決めを一気に変えることは不可能でしょう。大統領が代わったという理由で、今までの取り決めを一方的に破棄することは出来ません。横綱と序の口くらい力が違うのであれば、可能ですが、現代はどこの国も圧倒的な差はありません。

過激な発言ばかりが取り上げられて来たトランプ氏ですが、その通りに出来ないのが現代社会の仕組みです。半数を敵に回すことは出来ないので、融和的な政策を取らざるを得ません。変化を期待して投票した人は不満を持つことになります。

当面TPP交渉から本当に撤退するのか見たいと思います。日本からのアメリカ基地撤退もあるのでしょうか。大統領の権限が強ければ強いほど行使は難しいものになるでしょう。

2016年11月8日火曜日

生協県連50周年



鳥取県生活協同組合連合会の50周年記念式典&レセプションがホテルモナーク鳥取で行なわれました。私も短い期間でしたが、共済生協代表として役員を担いましたので招待されたことです。

生協には分野によって専門的に分かれています。簡単にいいますと、労働者の作ったスーパーが購買生協、労働者の作った銀行が労働金庫、同じく病院が生協病院、同じく保険が共済生協です。他にも住宅生協や信用生協などがあります。

労働金庫は元々は同じ生活協同組合の枠組みでしたが、労働金庫法が出来、生協から離れました。他の生協は消費生活協同組合法に基づいています。歴史を見ると戦後の日本経済と同じ歩みをしています。今の姿からは考えられないほど稚拙でした。

式典には平井知事も見えられ、日頃接することの少ない分野にも関わらず聡明な挨拶をされました。例によってあいさつの中で、組織の主要な方々の名前に触れられました。真似のできることではありませんが、それについて会場で二人の方からお話しが聞けました。

事前にしっかりレクチュアを受けているらしく、それなりの時間を割いて準備しているそうだという人と部下から資料をもらって、それを歩きながら読んで頭に入れているらしいという人がおられました。それぞれの根拠についてもお聞きしましたので、どちらも満更ウソではなさそうです。

人の名前が入るとぐっと親近感が湧きますので、取り入れたいのですが万一名前を間違えたときのことを考えると躊躇してしまいます。間違えない努力をしておられるのは間違いないようです。今日は楽しいレセプションでした。

2016年11月6日日曜日

お寺で七五三はビックリですか?


今日は午前中に本堂で初参式と七五三のお勤めをしました。初参式と言うのは、生まれて初めてお寺にお参りするのを祝って行う仏事です。特に何歳と言うことはありませんが、赤ちゃんの時にお勤めすることが多くなっています。次第は京都西本願寺でお勤めされるものに習っています。

七五三については、特に決まった次第があるわけではありませんが、ここまで無事に育ったことを感謝し仏様に奉告するお勤めです。この度は一才の女の子の初参式と三才と七才の男の子の七五三をお勤めしました。お寺での行事と言うと葬儀や法事というイメージがありますが、他にも成人式や結婚式はもちろん、還暦や古稀、喜寿のお祝いなどもお勤めします。

人生の節目にあたり仏様に感謝の気持ちを奉告するという意味合いがあります。歴史的に見るとお寺と神社が一体であったことから、どちらにも慶弔の行事が組み込まれており、特にどっちでやらなければならないということはありませんでした。それがいつの間にか住み分けが進み、専門化して行ったものと考えられます。

仏事の○回忌や神事の厄払いなど、年数や年齢に関係した行事がたくさんありますが、何故何年とか何故何歳ということで調べて見ても、納得の行く答えは見つかりません。色んな説がありますし後から付け足されたと思われるようなものもあります。

いずれにしても年齢や年数で風習とか仕来りを決めておかないと、その行事自体が廃れてしまうということでしょうか。最近はやり始めた行事にハロウィンや恵方巻きがありますが、正月のしめ飾りは一時ほどではなくなりましたし、バレンタインも静かになりました。

商業ベースで流行ったものは、ブームが終わると大人しくなるようです。商売のためには、次のブームを巻き起こさなければなりません。次は何が来るのでしょうか。楽しみです。

2016年11月5日土曜日

四十九日法要

今日は午前中、やずブータン村まつりの会場つくりの一部と、音響設定を手伝って来ました。午後からは60代で亡くなられた医師の四十九日の法要でした。私とあまり年が違わない方でしたので、死を身近に感じました。

今までに葬儀を勤めたのは二百回は超えると思いますが、若いときは差定通りにやるのが精一杯でした。どうすれば印象的な葬儀になるのか工夫した時期もありました。声の出し方を練習したこともあります。お経より法話に力を入れた時もありました。

最近は力みが無くなりました。自然体で出来るようになりました。今までは葬儀の構成を考えたりしていましたが、今は何も考えないで臨んでいます。法話の内容も事前準備はナシです。

その人を思い浮かべながら、頭に浮かんだことを話すようにしています。そうすると自分でも思いがけない言葉が出て来ます。まさに自分が話しているのではなく、体を借り物として話しているような感じがします。

今日はお浄土の話しをしました。人は西方にある阿弥陀如来の浄土で仏になります。仏になって娑婆で必要としている方のために舞い戻り、正しい方向に導きます。それは目に見える形ではなく、ふとした考えや思いとなって届きます。人間の能力では図り知ることの出来ない力です。それを本願力と言います。

2016年11月4日金曜日

ブロガリからの移行

今までブログとして利用していたブロガリは、あと3ヶ月弱で廃止となるので今月から並行して移行することにしました。エクスポート機能を利用して文章だけでも一括移行しようかと思いましたが、ハードルが高くあきらめました。

いろいろ苦労されて移行しておられる方もありますが、その労力よりゆっくりと順次移行させた方がストレスが溜まりません。絶対に残したいほどの文章でもありませんので、必要があれば自分のバックアップを見れば済むことです。ゼロから始める方が面白いと思います。

コマーシャルが入るのは嫌なので、グーグルが運営しているbloggerを利用することにしました。今月から12月までは両方に載せることにします。来年からは院家日記Ⅱだけにして、院家日記は更新を停止します。

全てのものに始まりと終わりがあるのですから、bloggerもいずれ廃止になるでしょう。それは間もなくかもわかりませんが、それで構いません。もっとずっとという気持ちがわからないではありませんが、それが執着で煩悩の代表的なものです。そう願うことがいつのまにか苦しみを作っており、ストレスにつながります。

形あるものは常に変化し、いのちあるものはいつか消えるというブッダが発見された真理を素直に学びたいものです。

2016年11月3日木曜日

血糖値500オーバー

昨日から叔母が元気がないということで、かかりつけ医に行って血糖値検査をしてもらったところ、555というとんでもない数値でした。血糖値をコントロールするために入院したほうがいいということになり、本人に確認したところ急に意識がはっきりして、入院はしたくないということで今朝まで様子を見ました。

少し熱があるということで病院に行ったところ、意識の混濁があるのでこのまま入院して下さいということになりました。診断の結果病名は非ケトン性高浸透圧症候群ということでした。この病気は、糖尿病の代謝性合併症で、高血糖、極度の脱水、血漿高浸透圧および意識障害を特徴としています。

直接の原因は分かりませんが、糖尿病から来ていることは確かです。進行すれば命にかかわることもあり、病院で適切な治療が必要です。点滴で水分を補給するとともに、脱水状態を改善するための治療が行われます。

2週間ほど入院して血糖値のコントロールをしますということですが、一方でもう92歳の高齢ですから、不測の事態が起こることも可能性として認識しておいて下さいと医師から言われました。7月の手術も乗り越えましたので、今回も無事乗り越えることを念じています。

2016年11月2日水曜日

生き残るお寺

いよいよ冬が近くなってきたということで、灯油を買いに行く準備をしていました。通りがかった近郊の他宗のお寺さんと立ち話をしました。やっぱり話題は、これからのお寺の未来をどうするかということでした。

何億という寄付を集められる寺院がある中で、10万円の寄付に対しても檀家さんから怒られる寺院があります。多様ですがお寺の寄付集めが難しい時代になりました。私のところは寄付の依頼額を決めたり、寄付の強制はしていませんが、必要な事業に対しては予算を立てて試算してみたりはします。

お寺で費用がかかるものには、新築や増改築、大修理などの建築関連費用と住職継職など特別な法要があります。普段から積み立てておけばいいのですが、積立金が足りない場合などは寄付を募ることになります。

私のところも数年後には住職継職法要を勤めますので、今から積み立てをしておかなければなりません。積み立てのもとになるのは、お布施です。お布施はお寺を存続させるために門信徒の方々が出される寄付のようなものです。決して法要のお礼や住職への謝礼ではありません。

お寺を護持していくための最低限の費用は護持会費として負担いただいています。現在は宗教法人として駐車場を購入したり納骨堂を建設した時の借入金が残っていますので、来年より住職や坊守の給与をゼロにして返済に回そうと思っています。

高齢社会になり年金暮らしの門徒さんが多くなっていますので、昔のように寄付をお願いすることは難しくなるでしょう。また、葬儀に関しても規模を小さくし、簡素化したものが好まれるようになると思います。そうなればお寺での通夜・葬儀も選択肢の中に入って来ると思います。今のうちにその環境を整えておくことが必要です。

お墓もいらなくなる時代が来るでしょう。大きな墓地を持っておられるお寺は、空いた墓地をどうするか今から考えておく必要があると思います。先が見えなくとも、予測できることには対応しておかなければならない時代となりました。

2016年11月1日火曜日

本:ブッダと法然

新潮新書の「ブッダと法然」を読んでいます。両者を比較しながらそれぞれの人物像に迫って行こうという手法ですが、読みやすくわかりやすい本です。法然上人の出家の動機は、父の菩提を弔い、自らは己の解脱のつとめるということにあったようですが、15歳という若さでした。

純粋に仏道を追い求める法然にとって、比叡山の表舞台は自分たちの名誉栄達にうつつを抜かす俗世と同じでした。そこで18歳で真に道心あるものが集う比叡山の裏舞台、西塔の黒谷に再出家しました。法然は18歳で遁世してから43歳で回心するまで25年の長きにわたり黒谷で引きこもりの生活を続けました。

法然は自己洞察の厳しい人であり、自分自身が持つ悪の存在に驚愕し嫌悪感を持っていました。自力でさとる従来の聖道門では自分が解脱出来ないことを自覚していました。「三学非器」と言われた所以です。戒・定・慧の三学は全体で仏教の修道大系を表しています。

あるとき経蔵で善導の「観経疏」を読んでいると「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近念念不捨者是名正定之業 順彼佛願故」(一心にもっぱら阿弥陀仏の名号を称えて、何時いかなることをしていても、時間の長短にかかわらず、常に称え続けてやめないこと、これを正定の業というのである。それは阿弥陀仏の本願の意趣に適っているからである)という一文に出会って回心したのです。その後、夢での善導との邂逅、大原の勝林院での有名な大原問答での勝利によって浄土宗が世の中に認められたのでした。