2016年10月31日月曜日

時が経つのが年々速くなる

年回法要もそうですが、お寺は年に1回会うというパターンが多いように感じます。お寺の活動が年単位になっているせいもありますが、それだけご門徒さんと接する機会が少ないことの裏返しかも知れません。

年をとると1年が過ぎるのが早くなるという理由には、代表的なものが二つあります。一つは相対時間です。同じ1年でも6歳の子が感じる1年は、過去の人生と比べて6年の中の1年の経験です。しかし60歳の方が感じるのは、過去60年の中の1年です。

人生の中の比重が違うので、年をとればとるほど1年が短く感じられるというものです。相対的には納得できるところですが、絶対時間は変わらないわけですから完全に納得というわけには行きません。

もう一つは脳の記憶力です。子供の頃はやることなすこと初めてが多いので、脳には刺激的です。初めての体験が目白押しです。脳は毎日刺激を受けて活性化し、記憶も鮮明に残ります。ところがだんだん年をとって経験値が増え、物事の収まり方がわかって来ると面白くも何ともなくなります。

ついには同じことの繰り返しで、昨晩何を食べたかさえ記憶に残らなくなります。脳が刺激をうけていないせいです。どうすれば刺激を受けることが出来るのでしょう。左手を使えとか、普段と違うやり方で日常を過ごしてみるという方法もありますが、長続きしません。

最も効果的なのは、若いとき時間やお金がなくて断念したことを、今蘇えさせることだと思います。外国語を勉強してもいいですし、ピアノのレッスンを始めてもいいです。とにかく新しいことにチャレンジすることです。

それによって脳の新陳代謝が強まり、加齢化がストップします。加齢とは胸がときめくことが無くなることです。常にときめきをもって生活すれば、苦しみ悩みから解放されるでしょう。

2016年10月30日日曜日

自力と他力


連研も7回目を迎えいよいよ浄土真宗の要に入って来ました。今日は「他力」です。一般的には自力とは自分の持っている力というふうに考え、他力とは自分以外の力と思っています。そして他力本願が誤用されるようになっています。

他力というのは仏教用語で、浄土教の代表的なものです。自力という言葉は最初はありませんでした。仏教は基本的に自らが修行して悟りを開くという教えですから、自力という言葉を使う必要がなかったのですが、他力という言葉が出来たため、それまでの仏教を自力という言葉で表したものです。

他力を一言でいえば、如来の本願力ということですが、そう聞いても何のことかわからないと思います。自分に対して不思議な力が働くというというふうに考える人もおられるでしょう。完全に間違っているとは言いませんが、それが超能力のようなものであると思うのは間違いです。

自力で悟りを開き仏になるという道は、大変厳しい難行苦行を乗り越えて到達するもので、100%達成しなければ意味がありません。そしてそこまで到達できるのはほんの一握りの方です。仏に成る目的は、苦しみ悩む多くの衆生を救うためですから、一握りの方では到底及びません。

そこで生まれたのが大乗仏教である浄土教です。大乗というのは大きな乗り物という意味ですから、多くの方を乗せることが出来ます。つまり多くの人を救うことが可能になります。自力で修行できない方を乗せて、修業に最も適した浄土という世界へ運んでもらえそこでたっぷりと仏に成るための修業を積み重ねるわけです。

ここでも修行をするのは自分の力ということになりますので、これも自力となります。他力というのは自分で行なう修行さえも阿弥陀仏が肩代わりしてして下さって、私の方はただお任せすればいいというものです。

なーんだそんな簡単なことかと思われるかも知れませんが、実はこれも大変に難しいことです。例えば海で溺れるということを体験的に知っている人にとっては、全身の力を抜いて仰向けに大の字になれば海の力で浮くことが出来るといわれても、自分は何もせずただ海に任せるということが出来ません。

同じように今まで自分の体験や知識で物事を見るということに慣れてしまった私は、自分の思慮を捨て、自分の価値観を捨ててただ阿弥陀如来の本願に任せよといわれても出来るものではありません。親鸞聖人の作られた正信念仏偈にも、阿弥陀如来の本願を信ずることは難しい中にもこれほど難しいことはないと歌われている所以です。

2016年10月29日土曜日


今日は各地で公民館まつりがあったようです。私は修立地区の公民館まつりで人形劇公演の依頼を受けていたので、まつりに参加しました。当初は日曜日の公演ということで、米子の「おかぴょん先生」に頼んでいたのですが、土曜日に決まったので急遽「劇団どんぐり」にお願いしました。

劇団どんぐりは最近マリオネットに力を入れているので、今回はマリオネットの「ぼくのおじさん」と「時子おばあちゃん」の二作品を見ることが出来ました。ぼくのおじさんは、子供とおじさんの掛け合いで、おじさんのお父さん、おじいちやん、ひいおじいちゃん、ひいひいおじいちゃんなどたくさんの先祖が出てくるお話しです。最後はクロマニョン人まで出て来ます。

先祖を辿りながら歴史の勉強も出来ます。「時子おばあちゃん」という作品は、糸操りでおばあちゃんの人形が毛糸を編むところをじっくりみえる作品です。編み棒を細かく動かす様子や、毛糸玉を時折ひっぱって糸を手繰る様子などを楽しむことが出来ます。子供だけでなく大人も楽しめます。

劇団どんぐりの主宰者は、一緒に人形劇団こうま座をやっていたメンバーです。一緒に活動をしなくなってからも、一人でコツコツ人形を作り、地道に公演を続けて来られました。来年の春は劇団どんぐりも呼んで第2回寺子屋人形劇場を行う予定です。もちろんプロも呼びます。楽しみにしていて下さい。

2016年10月28日金曜日

医者だけが知っている本当の話し

このタイトルは、本のタイトルです。とんでも本か?それとも真実本か?私たちが当たり前と思っていることを次々と否定しています。こんなこと書いてもいいのかなと思うような記述が沢山あります。ただ、前提としている考え方には同意できるところがありますので、全部読んで見ました。

主張:人間がなる病気は決まっています。一つは急性疾患。これは西洋医学で今はだいぶ助かるようになった。もう一つは感染症。人類永久不滅のテーマです。本来はこれしかないのに、他の病気になる。がんとかアレルギー、膠原病、アトピーとか、精神障害とか、遺伝病とか昔はほとんどなかった。今あるのは今やっていることが悪いからです。-内海

主張:なぜ医療費が増えるのか。簡単なことなんです。昭和20年以前に比べて、日本人が日本人に合わない生活をしてしまっている。生物学的には、われわれの仲間であるサルに近い生活をしていれば、病気になることはない。猿が住めるのは北緯55度くらいまで。-真弓

これに同意できる人は、読んだ方が良いです。よくわからんという人は読んだ方が良いです。絶対間違っていると思った人は、読んで見る価値があります。何が本当かわからない時代ですが、少数のなかに真実があることが多いです。

2016年10月27日木曜日

免許の更新をしました

自動車運転免許の更新をしました。6年ぶりにゴールドに戻りました。無事故無違反は20年以上続いていますが、6年前に更新時期を1週間過ぎてから更新忘れに気づきました。更新忘れをすると新規取得となり、それから3年間無事故無違反であっても、次の更新はゴールドにならず普通の3年更新となります。

何故更新を忘れたのかと言いますと、サラリーマン時代は仕事の予定を見ながら早めに更新日を決めます。つまり仕事と同じようにカレンダーに予定を書き入れて準備をします。ところが今から6年前というのは退職して1年半くらいたったころで、時間が自由になる時期でした。

2か月間ということであればいつでも講習を受けられるということで、特に予定を入れずに過ごしていたため、うっかりと忘れたものでした。いつでも出来るという時は要注意です。空いている日がたくさんあっても、キチンと予定を組んでおくことが必要でした。今回は事前に予定を組んでいたので忘れることはありませんでした。

次は5年先の更新ですので、今のままで行けば高齢者講習を受けることになります。新しい免許証を見ると、免許取得は平成22年12月になっています。免許証を見るたび更新忘れを思い出します。いい教訓でした。

2016年10月26日水曜日

来年の年回通知

お寺の大切な任務に、一周忌や三回忌などのご案内があります。宗派によって多少違いますが、浄土真宗ではそれ以外に七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌、三十三回忌、五十回忌があります。

回忌という名前は数え年ですので三回忌は二年後となります。何故数え年と思われるかも知れません。亡くなることを往生と言いますが、意味は浄土へ往って生まれるという意味です。生まれるというのは仏に成って生まれるということです。ですから誕生と同じように数え年で数えます。

丁寧に対応しようと思えば、それぞれ4~5ヶ月前くらいにご案内した方が良いのでしょうが、そこまで対応出来ていないのが現状です。来年が○回忌に当たりますということで、毎年10月頃に出しています。寺院によっては本堂に一覧表を掲示されることもあるようです。

当山の場合はパソコンで管理していますので、抽出は比較的簡単ですが手書きの過去帳をめくって抽出するとなると、かなり大変です。新しくご門徒になられた方のご先祖の年回を手書きの過去帳に挿入するのも大変です。

パソコンをマイコンと言っていた当時プログラムを組むのに、10行毎に入力していたのを思い出しました。後で追加する場合は空けてある行にプログラムを挿入していました。9行までは追加できました。過去帳もそうしておけば良かったかも知れませんが、そうすると量が膨大になります。昔はどうしてたのでしょうね。

2016年10月25日火曜日

お世話になった方の訃報

最近役者さんや俳優さんの訃報を聞くことが多くなりました。今日ある会合に出て米子時代から大変お世話になった方の訃報を知りました。地震で気持ちが沈んでいるときに寂しい知らせでへこんでしまいました。

この方は仕事柄、写真撮影が趣味と実益を兼ねていました。構図もいいのですが、一番の特徴はストーリー性でした。イベントの流れをすべて把握し、どこでどのような絵を描くかということをしっかり頭に入れて仕事されていました。そのため早く現場に現れ、一人でリハーサルしておられました。

養源寺の住職継職式、前住職の一周忌法要、長男の結婚式、長女の結婚式、次女の結婚式はすべて写真を撮っていただきました。経費を無視した、まさにボランティアでの撮影でした。一度雑誌に投稿された記事を見たことがありますが、理路整然とした文章でした。かといって堅苦しいものではなく、ユーモアを交えた味のある文章でした。

体調不良などの情報はなかったので、元気でご活躍されているものと思っていました。利害なしで話しの出来る方でした。いつも私の家族を気遣っていただきました。本当にお世話になりありがとうございました。

2016年10月24日月曜日

関西から越して来られ、18年間鳥取に住んでおられた男性が高齢と共に一人での生活が困難になったため、娘のいる関西に帰られることになり、仏壇を処分したいといって来られました。

知り合いの仏具屋さんに頼んで引き取っていただくことにしました。毎年一件くらいはこのような依頼があります。こういう時、浄土真宗では遷座法要をお勤めし、尊号のお軸を引き取らせていただいています。

鳥取に来られたのは奥様の療養生活のためでした。現役時代に溜めたお金で鳥取に車椅子で生活できるエレベータ付きの家を建てられ、奥様とお住まいになりました。しばらくはお二人の生活を楽しまれたようですが、介護の甲斐なく7年後に奥様が往生されました。

当山がご葬儀をお勤めしました。それ以降は祥月命日とお盆にお勤めさせていただいていました。ご門徒さんではなくいわゆる信徒さんという形でした。いつも30分間正信念仏偈を一緒にお勤めし、それから30分間お話しをしていました。

その後大阪の方でお父様がお亡くなりになり、その日も祥月命日のお勤めをしていました。若い時の話しや釣りの話しなど楽しそうに話しておられました。年に二、三回ですが11年間通いましたので、人が年をとって行くということを目の当たりにしました。諸行無常そのものでした。